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ただごとでない雰囲気を感じたので、すぐ担任に連絡し、「宿題ができていないのではないか」「しばらくゆっくり見てください」との指示を受けた。

その後、約1カ月の間私が学校に出向き、状況を説明したり、保健の先生のアドバイスを受けたり、また担任の先生が家庭訪問してくださったりした。その他、教育電話相談、フリースクールを訪ねカウンセリングを受けるなど、さまざまに動いたが、これといった具体的な対処法は示されなかった。

どうして学校に行けないのか、という問いかけには、「学校が嫌い、先生が嫌い、私が好きで選んだ学校ではない」の一点張り。「どこに行っても思うようにならないなら、目標を小さく定めてがんばったらどうか」という親の意見とは平行線をたどるばかりだった。

私たちは、はれ物に触るような思いで日々を過ごした。不登校に陥った際どう対応するかについていろいろと言われているが、母親としての私は、一刻も早く集団の中に返したい思いでいっぱいだった。

Aは、小学校時代の友達がいる地元の公立中学校への転校を強く望んだが、父親も私も、今の問題の解決なくして、子どもの言いなりに転進はさせたくないという気持ちで一致していた。

 

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多くの場合そうであるように、今どういう行動をすればいいのか、子どもとの正常な対話を取り戻すにはどうしたらいいのか、私は全くわからない状態になっていた。しかし、会のスーパーバイザーである桜井先生の、行動心理学に基づく手法には共感できた。そして何より、学校やクラスの情報に通じたOさんの存在も心強かった。そのうえ、近い過去に不登校のお子さんを学校に帰されたKさんの手記に心を打たれ、私たちなりの取り組みができるのではないかと、手応えが感じられた。

当日すぐ、学校への対応と家族内での子どもへの当面の対応を教えていただき、メモを取り、1週間後のカウンセリングの予約と、24時間対応の窓口電話番号を書き取り帰宅。このことは、不安でいっぱいだった私にとっては、この1カ月間でいちばんうれしいことだった。

帰宅した父親に同意を得、翌週父親も同席してのカウンセリング。以降、毎週水曜日に私が事務局に出向くかたわら、先生と、主としてOさんに電話で相談しての再登校に向けての動きが始まった。父親は、娘の再登校の試みに全面的な協力をしてくれることになった。多忙な仕事の中で接触は少なくなっていたが、父の愛情は十二分に娘に伝わっていたと思う。

 

家からリブへ

「まず、リブ教育研究所に連れてきて下さい」という先生の言葉を受け、できれば子どもが喜んで行く気になってくれるようアイデアをしぼる。当初不可能に思えたことが、意外に簡単にできた。

 

 

 

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