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次男の不登校から5年がたちました。彼は17歳で、通信制高校の2年次に在籍しています。中学3年の5月にS市のフリースクールに入校して、今年の2月まで在籍してひとりで暮らしていました。そこで培われたさまざまな人間関係の中で、次男はわがままや、好き嫌いをはっきり言えるようになり、「俺は人から嫌われているのではないかと思うようになった時から、いつも人の目が気になっていた。中学校で無視された時も、自分が悪いから仕方がないと思っていた。小さい時すぐ手が出て、女子をなぐったりしてたから、報いを受けていると思った。だから相手のことを恨んではいない。中学1年の担任は、お前が強くなれ、そうしたら学校に来れると言ったけど、教師の説教で強くなれたら、不登校は起こらない。結局、本人の俺が何もできないのだから、先生だって何もできないんだ」と話すようになりました。

また次男は、自分はたしかに半分引きこもりだと思う、でも人と同じように生きたいとは思わない、自分らしくて好きだなと思っている、いいところがあるし、そして、そういう風に思える自分が好きだと言います。私は、欠点のない人間はいないし、建前だけで生きることもできないのですから、納得のいくようにすることがいちばんだと思います。

 

不登校児は学校の宝

人は人に傷つけられるけど、人によって癒される。このことはすばらしい事実です。不登校を恥じることも、それが人生の終わりだと思うこともありません。こう書いたからって、私が学校を否定しているわけではありません。

学校はとても大切な所のひとつ、でも他にも大切な所はあるのです。ただひとつの道がすべてではないのです。今子どもたちに必要なのは、子どもを理解しようと、自分ができうる限りの努力をする大人なのです。それは、必ずしも親でなくてもよいのですが、親を除外することは決してできないと思います。

私は今の生活、今の自分が好きです。キリキリと働いていた頃より、ずっと生きてる実感が持てています。楽しみは、わが子と共に生きる多くの子どもたちの成長です。いろんな親たちが教えてくれる子どもの変化、良いことも悪いこともすべてが、とても大切な、いとしいものに思えるのです。

次男の中学2年の担任が、相談員を訪ねた時に話されたと言う言葉。

「不登校の子は学校の宝です」

今、この言葉は私のものです。不登校のわが子は、私のかけがえのない宝物。不登校だからこそ、私はこの子が大事と気がついたのです。

不登校の子どもも親も不幸ではありません。孤独な子育てが不幸なのです。私は生まれた時から他と比べられ、劣っていたり遅れているのが悪いというような競争の中で、普通に育つほうがおかしいんだと思うようになりました。人は皆違っていい、自分であっていいのです。こう思えるのが、私が子どもたちからもらった、大きな大きな贈り物なのです。地獄のような日々も、私たち家族にとって必要なことだったのです。長女も次男も、時期こそ違え、自分のして来たことでむだだったことはひとつもないと言いました。私にとって、勲章のような言葉です。この子たちの親で本当に良かった、そういう幸せを体のどこかで感じながら生活できること。

5年前は、こういう日が来るとは思えませんでした。学校に行けることはさして重要ではなく、どう生きるかをつかむことが大切だなあと、のんびり思うこの頃なのです。

 

 

 

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