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担任の先生もその意をよくくんで下さった。毎日家を訪問して下さり、その時の子どもの様子をクラスメートに伝え、家に来られる時はクラスの様子を子どもに話して下った。そのおかげで学校に行っていなくてもだいたいの流れがわかり、毎日先生が来て下さるのを心待ちにしていた。

(4) そのうち先生が、放課後の学校へ子どもを連れていき、靴箱やクラスでの席の場所を教えたり、先生の授業が入らない専科の時間には、校長室、保健室、音楽室、理科室などに行って先生方と話したり、校庭をいっしょに力いっぱい走ったり等々、毎日の積み重ねの貯金ができていった。

(5) 地域の方の協力

地区が同じで、わりと家が近い生徒さん(クラスは違うが同学年)が、友人と毎日のように家に寄ってくれた。そして子どもが家から出て来なくても、外で15分から20分ぐらい遊んで帰る。最初は会えなかった子どもも、それを楽しみにするようになった。その保護者も何かと親の私にも声をかけて下さる、そういうことがとても力になるのだ。

(6) 2学期の終業式の4日前の夜に突然、明日は帽子をかぶりランドセルをしょって学校に行くと言いだした。空手の友人に約束したという。本当のところ前進しては後退し、ということを何度も繰り返し、あと一歩のところで前に進めない、どうしても一歩が出ない。その状態を見て私は、ここまで変化してくれたのだから、もうこれ以上は望まなくていいと、心の中では学校復帰をほぼあきらめかけていた矢先だった。

2学期最後の3日間学校に行き、「友達と遊びてぇ〜。もう少し早く学校に行ってたらよかった」と、涙を流して言ったのだ。冬休みが明けても、ジグソーパズルの最後のひとつがパチッとはまったかのように、毎日学校に登校している。

あとでわかったのだが、この時期に校長先生が「もうそろそろ3学期に備えて子どもに登校を促してみてはどうか」と担任に話され、先生も同じように考えていらっしゃったとのことで働きかけて下さった結果だったと。

(7) しかし登校はしていても、涙の出る日も多かった。

1] クラスメートと何を話していいかわからない。

2] 話しかけられても(どういう態度をとっていいのか、とっさに出て来ない)、それに答えられないので、だんだん人が遠ざかっていくようで悲しい。

3] トイレに入れない(だれが入ってくるかわからない)。

4] 移動教室や体育館の中に入れない(他のクラスの横を通らなければいけないか

ら)。

*3]4]は2カ月を過ぎるころには大丈夫になった。

5] 体育の時に体操服に着替えをしたくない。

登校当初は本人も緊張しているので、周りと自分の関係がよく見えなかったが、2週間〜3週間くらいたつと、1]と2]に示しているようなことが見え始め、涙する日が多かった。卒業文集の制作や短歌・自分史など、本人が考えて取り組まなければいけないものには、おなかが痛くなるくらい悩んでいた。それらの件に関しては、私がいっしょにアドバイスしながらなんとかやれたのだが、本人とクラスメートの関係は、1年9カ月の間、同年代の子と接していず、友達関係が育っていないので何を話していいかわからないというのは仕方のないことだと先生に伝え、自分から人の中に入れないのでみんなのほうから、できたら特に男の子たちからさりげなく声をかけてもらえないかとお願いする。

 

 

 

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