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しかし、□□はその時本当に気持ちが参ってしまっていて、そんな状態になってしまいました。家に帰ってきても何日かはそんな状態で、私も本当にびっくりしてしまいました。でも□□は、学校に行けなかったこの1年の間に少しずつ元気を取り戻し、みなさんと同じクラスで、6年生としてみなさんといっしょにがんばりたいと今思っています。

私のお願いは、□□に特別に気を使って欲しいというお願いではありません。特別扱いするのではなく、ごく当たり前に同じ仲間として温かくつき合って欲しいのです。最初のうちは□□も緊張して、また体調がおかしくなったり、休んだりすることがあるかもしれません。でも、本人は一生懸命なんです。そこのところをわかってあげて下さい。どうぞよろしくお願いします」

 

みなさんの支えで

手紙はさっそくクラスのみんなに伝えられ、毎晩家に先生が来て下さり、またクラスメートが手紙を書いてくれたり、放課後に何人かで寄ってくれたりするようになった。また、保護者の方も応援して下さった。それでも本人は、それになかなか応えられなかった。それでも先生やクラスメート、保護者の方はその温かい態度や姿勢を変えずに辛抱強くずーっと息子を支えてくださった。先生が迎えに来て下さって、保健室登校をしたり、校長室で給食を校長先生といっしょにいただいたりして、途中からの登校は少しずつできるようになっていった。

そして2学期の終わり間近になって、自分の気持ちをそのまま先生に伝えられるようになった。2学期終わりの3日前からは、朝から登校できるようになった。

これは自然楽校、担任の先生、校長先生、クラスメートのみんな、保護者のみなさんが温かく、辛抱強く本人を支えて下さったからこそ、本人は疑心暗鬼の状態から抜け出し、ここまで来れたのだと思います。

不登校になって1年9カ月ぶりに、子どもはランドセルをしょって帽子をかぶり、学校に登校した(ここまでは父親が書き、以下の「まとめ」の部分は母親が書きました)。

 

まとめ

(1) 不登校の不安な時期に「絶対学校に行けるようになる」という強い信念で、子どもや親を支えてくれた自然楽校の存在は、とても大きかった。苦しんでいるその時にどこでもいい、心と体を癒せる場所を見つけて前向きな自分を取り戻すことから学校復帰は始まるのだと思う。

(2) 学校そのものを拒否していた子どもが、前から習っていた空手を通じてクラスメートのお母さんでもある空手の師の働きかけにより、学校への一歩を踏み出し、門をくぐることができた(空手の道場が学校の体育館なのです)。

(3) 6年生に進級するにあたり、門川さんより子どもが不登校になってからの1年間の状態を新しい担任やクラスメートに手紙を書いて伝えたほうがよいと、アドバイスを受けたこと。

親の私たちも手紙を書くことの意義やデメリットなどいろいろ考え、最後は門川さんの言われるように、不登校であっても、何もしないで何も感じてもらえないよりも、この空席はあの不登校生の席だと、子どもの存在を知っていてもらったほうが、ずっといいと思ったからだ。

 

 

 

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