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A医師からの手紙

絵里を取り巻く人々の接し方についても、A医師に尋ねた。

「夫は能天気に、大丈夫、世の中にはもっと大変な人がいるのだからと他人事みたいだし、また私がこの本を読んでみたらなどと言えば、僕は良くわかっているからもう読む必要はないなどと言うのです。全く高みの見物をしているようではないですか。私がひとりで闘っているような気がします」

すると彼は穏やかに、お父さんまでもが、学校に行けないことが心配でたまらなくて右往左往しているというよりは、むしろいいのではないかと言った。なるほど。A医師の解釈は、いつも新鮮だった。夫はとりあえず私を非難しないし、あまり絵里にプレッシャーを与える失言もない。絵里や長男、次女を連れて出かけたりもするので、まあいいかと思った。

12月になっていた。医師は私に言った。クリスマスの頃、H市の病院に移動すると。できればもう半年、絵里ちゃんに付き合いたかったのですが、もう絵里ちゃんとお母さんで大丈夫です。絵里ちゃんは、僕の所に来てからしばらくは僕を頼っていた。でも今はもう、僕よりおかあさんを頼っています。普通は不登校になると、母親はもっとカリカリする人も多いのですが、あなたはあまりそうではなかった。

そう言って、私の労をねぎらってくれた。もちろん、私も人並みにあせり、カリカリしていたのだが、そう見えなかったとすれば、それは医師や教頭など周りの人にサポートされていたからだ。

クリスマスの頃、A医師から手紙が届いた。私には次のような一文もあった。

「人が一人前になるのは、なかなか大変なことです。時には子どもは、親や教師など周囲の人間にとっては、都合の悪いことをしたりする。そうして、紆余曲折を経て大人になっていくのです。私は、不登校もそのひとつと考えています」

そして娘へ、「絵里ちゃんは皆が気がつかないことでも、気づいてしまったり、でも皆と同じ子どもでもあるから、つらい時もあるけれど、大きくなったら役に立つものをいっぱい持っているんだよ。毎週絵里ちゃんが来て、いろいろお話ししてくれるのをおじさんはとても楽しみにしていました。だから、おじさんにお世話になったなどと思わないようにね。絵里ちゃんは自分では知らないうちに、おじさんにたくさんの喜びを与えてくれたのです。もしかしたら、絵里ちゃんとは一生会うことはないかもしれない。でもおじさんは、いつまでも君の友達です。相談したい時はいつでも、手紙を書いてください。それから、H市に遊びにきてもいいです」

あれからもう、8年が過ぎた。絵里も今では18歳の受験生である。A医師には、あれ以来一度もお会いしていない。絵里ももう、昔の細かいことは忘れていると言った。でもあの手紙を読むたび、絵里は思い出すだろう。ピンチだった時に応援してくれた人がいたことを。自分の力で困難を乗り越えられるように、支えてくれた人がいたことを。私も、親ではできないことがある、他人の愛が必要と言ったA医師の言葉を忘れることはないだろう。

だれもがそうであるように、絵里の人生にもこれからいろいろなことがあるだろう。そんな時、あの不登校を通して知った人の愛を思い出して欲しいと、私はいつも願っている。

 

 

 

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