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絵里は家族といっしょに食事をすることを拒んで、自分の部屋で食べるようになり、私はショックだった。この段階で、もう学校どころではない。とにかく元気になって欲しかった。事態は深刻に思えた。

そこで迷わず、教頭に紹介された小児科医を訪ねた。A医師は、小児科医長だった。50代の彼は、穏やかな感じで信頼できそうだった。子どもの話、それから私の説明に耳を傾け、そして娘に「今、少し心がカゼを引いているから、3学期は学校を休もう」と言った。娘は、ホッとしたようだった。このお墨付きで学校を休める。帰りにハンバーガーを元気そうに食べる彼女を見て、ひと安心した。

 

他人の愛を知ること

しかし絵里は、5年生になっても学校へは行きたがらなかった。A医師には、週に1度会った。が、娘は2回目は途中でおなかが痛くなるといって、行かなかった。仕方なく私ひとりで会いに行き、不安に思っていることを全部話した。同じ状況なのに、他の子は行けて、うちの子が学校に行けないのは、私の子育てがいけなかったのか。娘の何が問題なのか。夫はいったいどう接すればよいのか。いつから学校へ行けるようになるのか。このまま休んでいては社会性が育たないのではないか、等々。

彼は、「クラスのトラブルは、きっかけに過ぎない。絵里ちゃんは頭の良い子です。よく幼稚園児の頃から、要領がいいずる賢い子がいるでしょう。絵里ちゃんはそうではないのです」と、穏やかに話してくれた。

「あの子は、10歳にしては大人の部分もあって、いろいろなことに気づいてしまうけど、もちろん子どもの部分もあるからつらいのでしょう。今は100パーセント受け入れてあげて欲しい。それはわがままではないのです。無理をすると、心が壊れてしまいます」とも言われた。そして、人間はできないことをやれと言われることほどつらいことはないこと。ひょっとして私が、子どもは学校に行ってさえいればよい、と思ってはいないかということ。学校は最後でいい、学校は行け行けと言われて行く所ではない。行きたくなったら、行くなと言われても行く所だ。もちろんはっきりした理由があれば、それを取り除けば登校することもある。でも絵里の場合はゆっくり時間をかけたい。気がついたらいつのまにか学校へ行き出した、というのが望ましいという考えを話された。そして最後に、

「それから今大切なことは、絵里ちゃんが他人の愛を知ることです。両親でもなく、おじいちゃんやおばあちゃんでもない、もっと遠い人。例えば新しい担任などがいい。担任が、えこひいきと思われるほどかわいがってくれるといいのですが」

 

A医師のアドバイス

新しい担任は、スポーツマンタイプの、さっぱりした男の先生だった。「えこひいき」のお願いは、無論かなわなかった。それをすると、娘が他の女子からねたまれる恐れがあるので、とのこと。私も同感だった。結局、A医師が「その役」を担ってくれた。また、A医師は「おかあさんの子育てが悪かったのではないし、絵里ちゃんのこの状態は病気ではない。いつまでもこうではないことを忘れないで」と言い、これは治療ではない、子どもと話をするのが楽しみなのだ、と付け加えた。

 

 

 

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