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不登校は、大人になるための紆余曲折のひとつ

母親

 

不登校期間 小学4年3学期〜5年2学期 10歳女子

 

《家族構成》

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本人について

家族は会社員の夫と専業主婦の私、現在高3の長女と高1の長男、中2の次女である。当時、長女の絵里(仮名)は小学校4年生だった。不登校の期間は小4の3学期から、だいたい小5の2学期までだが、その間全く行かなかったのではなく、行事には参加していた。本人の性格は、当時は神経質なこだわるタイプで、どちらかといえば完全主義的でがんばりやさんだった。

学校ではしっかりしていると言われ、いわゆる良い子だった。18歳の今は、以前よりもおおざっぱ。すべてを完璧にというのは無理だし、疲れてしまうということを中2のあたりで悟ったらしい。単位制の高校に行って、自由な校風の中で3年目を迎えている。

初めての子だったのと、長女が標準より小さかったので、育児書と首っ引きで子育てしていた。転勤先に住み、近くに親も親戚もいなかったので、スポック博士の本や、毛利子来氏の本なども読んでいたが、ひと言で言えば、神経質な子育てだったと思う。

絵里は人見知りが強かったため、近くの保育園に頼んで、親子で遊びに行かせてもらったりした。2人目、3人目と育てるうちに適当に手抜きをしながら育てられるようになってきた。

 

―経過―

担任不信に

4年生の長女絵里は、2学期の後半、朝腹痛を起こすなど体調を崩し始めていた。そのうち、どうも子どもたちと担任がうまくいっていないとか、担任の足を蹴る子がいるとか、担任が話し合いばかりしているなどのうわさが耳に入ってきた。ところが絵里は、私が建て前を言う母親だったためか、クラスで起きていることなどほとんど話さず、学校へ行くのがつらいという気持ちをどんどんためこんでいった。私も学校へ行くのは当たり前と思っているごく普通の親だったので、行き渋る娘をなんとか行かせようとした。クラスの状態は、親の間でも問題となった。何も言わなかった娘は、実はいちばん強く担任不信になり、2学期の終わりごろ、学校に行けなくなってしまった。

3学期に入った。結局、ベテランの男の先生がしばらく担任することになり、クラスは秩序ある状態に戻った。しかし、絵里はもう二度と学校へは行きたくないと言った。実際食欲も減り、体調を崩していて登校どころではなかった。10歳の子どもにとっては、自分が登校できない、そして行きたくもないという状態は大きな葛藤だったろう。

 

 

 

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