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ウサギと母

これは僕自身の自立回復に結びついているのか、疑問ではあるけれど、母との間でひとつだけ印象に残っていることがある。不登校になって家の中で荒れていた時、当時飼っていたウサギに暴力を振るったことがあった。蹴っ飛ばしたり物をぶつけていた時、それを見た母がぱっとウサギを抱きかかえて、両親の寝室に駆け込んでいった。僕はそんな母に猛烈に腹が立ち、追いかけていって、寝室でウサギを抱えてうずくまっている母に暴力を振るった。すると、今まで僕に対して困惑するだけだった母が、突然涙を流しながら僕の手をつかんでどなったのだ。

「アンタ!!ミミちゃんはなんにも悪いことしてないんだよ!!どうしてそんなことするの!!」

僕は、そのまま黙って自分の部屋に帰ったが、猛烈に自己嫌悪に陥ったのを覚えている。なぜ、あんなことをしてしまったのか。いったい自分はどうしてしまったのか。訳がわからず、ただ恐ろしくて泣いた。さらに母が泣いているのを見て、それがすごく心に残った。

母にどなられたことが、すごく響いた。しかも、それがすごくうれしかったのを覚えている。このことがあってから、僕は壁や襖を殴ったり、大声を上げたり、暴力を振るうことを全くしなくなった。

友人とは、たまに夜会って話をした。何の話をしたのかまでは思い出せないが、特に僕の不登校について、何か言われるようなことはなかった。確かに最初は少しとまどっていたようだが、大きな変化もなく仲も良かった。友達の存在だけは、本当にありがたかった。友人がいっしょに話をしたり、遊びに行ったりしてくれなかったら、僕はどうなっていたかわからない。くつろいだ気分になることができたが、その分家からはどんどん遠ざかっていった。

 

カウンセリングとゴルフ塾

しばらくたってから、僕は母に連れられてカウンセリングを受けに行ったり、父の紹介でゴルフの塾に通ったりした。カウンセリングは、全くうまくいかなかった。むだだった。とにかく、なんでこんなところに通って、こんな奴と話をしなきゃならないんだ!と思った。また、とにかくカウンセラーに任せようとする母を、許せなく思った。何を話したかなんて、全く覚えてない。

でもゴルフだけは、本当におもしろかった。鹿児島の宿舎に泊まりに行き、ひと月ほどゴルフ浸けの生活を送ったこともあった。そこも金銭的な理由から、だいたい半年くらいで通わなくなった。

それから最後に、T先生のカウンセリングを受けに通うようになった。T先生のカウンセリングは、今まで受けてきたものとはまるで違った。何がどう違うのかはなんとも言えないのだが、とにかくしばらく話をすると、心がスウッと軽くなった。そこには、僕の他にも何人かの不登校の人たちが集まっていて、カウンセリングを受けるようになってしばらくしてから、僕もその人たちと時間を過ごせるようになった。

やっとひとつ、確かな居場所ができたような感じだった。

 

 

 

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