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ただただ訳がわからなくて、ぼうぜんとするばかり。だからといって、相手は謝るわけでもなかった。私は一瞬、時が戻ったのかとさえ思った。「まるで何事もなかったように…」。そう、相手にとっては取るに足らない、ごくささいなことだったらしかった。

もうひとりの子は、それでもいいと仲間に入っていったが、私はどうしてもそうしたくなかった。なかったことにはしたくない。あの頃は確かに存在したし、それを許すきっかけもない。何日も待っていたが、謝罪の言葉は何もなかった。

 

人間が怖くなった

そして、2週間ほど学校を休んだ。許せる心を持とうとするために。また笑顔で「おはよう」と言われたら、すべて水に流そうと決めて私は学校へ向かった。私を待ちうけていたのは、いやがらせだった。仲間に戻ったはずの子も、またいじめられていた。「どうして…」とつぶやくと、彼女は1週間前からまたいじめられていると言う。「どうして」、それ以外の言葉はなかった。

人の心は、気持ちは、行動はなんと変わりやすいものなのか。そのなかで自分は、多くの気まぐれに流されるしかないものなのか。感情さえも無視されて。ただ、流されてゆけと?人間が怖くなった。見えない心。私はいつ、何をされるかわからない。

私は約3カ月間、部屋に閉じこもった。家族ともめったに顔を合わせず、外にも出ない。うずくまって、ただおびえる日々。弟で慣れていたのか、家族は何も言わなかった。ただ一度だけ、母が私はなにも悪くないと言い、頭をなでてくれた。そんなことわかっていたつもりだったが、なぜか涙が出た。外に出ると恐怖で体の震えがとまらなくても、少しずつがんばってみようと思った。

 

カウンセリングを受ける

当時私は、カウンセリングとはカウンセラーが私に、「こうしなさい」と指示してくれるものだと思っていた。私にとっていちばん良い道を、まるで超能力者か占い師のように教えてくれるものと思っていた。早く、だれでもいいから進むべき道を教えて欲しかった。私は母に頼んで、カウンセリングを受けることにした。

初めは、何かを聞かれても言葉も出せなかった。話を聞いたり、時に私もうなずいたりしていた。話せと責められることも、怒られることもなかった。

私の恐怖感を拭い取ってくれたのは、いくつもいくつも数えきれないほどたくさんのきっかけだったが、それは決して、だれかが一方的に与えてくれたものではなかった。私が求めたから、そしてそれに応えてくれる人がたくさんいたからなのだ。

私にまた、人間を信じる勇気のきっかけをくれたカウンセラーさん。その人を紹介してくた母。別の高校にいっしょに行こうと誘ってくれた、新しい友達。私の話を聞いてくれ、同意してくれた人たち。

否定されることが怖かった。私と同じだよと言ってくれる人を、まちがってないよと言ってくれる人を、求めればすぐ手が届く所に得ていた幸運。カウンセリングは、初めに私が思っていたような「指導される場所」ではなかったが、そのおかげで私は、自分を自分でゆっくり見つめることができたし、それによって少し自信を取り戻すこともできた。

 

 

 

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