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優劣をつけない高校で得たすばらしいもの

高校1年 女子

 

不登校期間 高校1年2学期〜翌年1月(半年間)

 

《家族構成》

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自分について

当時の家庭環境は、母方の祖父母との2世帯住宅で、建築会社勤めの父、専業主婦の母、不登校の弟の6人だった。不登校になった家族がいるために起こる問題やらは、だいたい起こってしまっていた。

母は「不登校の親の会」を設立させ、何かに取り組んでいた。それに反対していた父も、直接衝突することはほとんどなくなっていた。少し安定してきていた弟。ぎこちなくはあったが、家庭の中も少しは良くなっている感じがしなくもなかった。

私と父は、どちらかというと反対派だった。本音は言えない。気を使わなければならない。それでも、親戚や周りは容赦なく責め立てる。それも親切のつもりで言う者がほとんどだったが、私にとっては苦痛でしかなかった。泣きわめいて逃げ出したいような言葉をかけられても、笑って「ありがとう」と言った。

もう二度と戻りたくない記憶。「不登校」が大嫌いになった。弟さえも。家族はバラバラになっていたが、それでも衝突しないように平気なふりをしていた。

 

―経過―

陰湿ないやがらせ

私は推薦で合格した高校に通うことになった。市内の女子校で、中学の時に仲の良かった子とは別々になったが、なんとかひとつのグループの中に入ることができ、1学期中は楽しい毎日を過ごした。夏休みが終わって2学期が始まると、急にグループの子たちの態度が変わった。私ともうひとりの子が標的にされ、陰湿ないやがらせを受けるようになったのだ。

ふたりとも初めは、友達だった人たちの急な変化に戸惑いを感じたものの、2〜3日で諦めた。そうされる理由もわからなければ、なんの覚えもなく、ただただ低俗な行動を繰り返す人たちにあきれるばかりだった。たかだか、まだ2カ月足らずの付き合いだったこともあって、悲しさは感じなかった。相手を軽蔑することで、私はその状態をすんなりと受け入れ、いっしょに仲間外れにあった子と毎日を過ごした。いやがらせを気にせず生活することが唯一の反撃で、それは親や先生に対しても同じだった。クラスの子くらいしか、それに気づかずにいたし、私もそれでいいと思っていた。

そして、そんな状態が1カ月以上続いたある日の朝、まるで1学期の時のように「おはよう」と声をかけられ、親しげに話しかけられた。これが前の日までいやがらせをしていた人間と、だれが思うだろうか。

 

 

 

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