外国人やホームレスという、少しマイノリティな人々と出会ったことも大きいかもしれません。彼らは、学校や身分を問うことも、値踏みすることもしません。僕の考えも「普通と違うからおもしろい」と認めてくれました。僕はその付き合いで、ありのままの考えの僕でも認めてくれる人がいると、自信がつきました。日本人とは違う考え、仕事をしている人とは違う考えを持つ人がいるのです。違う世界を知ることで、自分を以前よりは客観的に見ることができるようになりました。
もちろん、時には裏切られたとか、だまされたと思うことはありました。しかし、今書いたような人とのかかわりの中で、徐々に僕は人を信じることができるようになったのです。そして、人を責める前に、「自分が変われば、人も変わる」、裏切られたのも、こちらが過大な期待を相手にかけただけではないか、と思うようになりました。そう思えるようになってからは、裏切られることも絶えてありません。というか、裏切られているのかもしれませんが、何も気にならなくなりました。知らず知らず人を傷つけていることを考えれば、お互いさまのことなのだから。
現在の僕
そんな僕は、今まで出会ってきた若い仲間と、「麦の根」と「電脳塾」という青少年や不登校の居場所を作っています。それまで富山には、不登校の若者の居場所がなかったからです。また仲間たちも、自分たちで動きたいと言い始めていましたので、親のヒモつきではなく、自分たちが独力で考え、動ける場が欲しかったのです。
「麦の根」は3年前から、純粋に中退者や不登校児の居場所として。「電脳塾」は去年の10月から、僕たち不登校OBにとってはパソコンを教えることで自ら働く場であり、学校に行っている子や行ってない子には、学びとくつろげる場として、相互交流できる場であればと考えて作りました。
しかし僕自身、不登校を忘れてもよい年頃です。自活もしています。不登校と関係ない所から、仕事のスカウトも来ます。26という僕の年では、正直言うと子ども心がわからなくなってもいます。それでも不登校にかかわっているのは、今の世を変えたいと思うからです。僕も、大人もですが、今まではだれかを責めてばかりでした。「学校や文部省が悪い」と。ですが、向こうはいかに悪いとしても、学びの場を作っています。お上任せにして文句ばかり言うのでは、教育は変わらない。そう感じたのです。
立派な大人が動かないなら、僕たち若者が場を作り、今までにないテーゼを出すことで、地域の教育を変えることが必要と思ったのです。その動きが広がれば、社会も変えられるかもしれない。少なくとも、僕の郷土の今悩んでいる子どもの居場所にはなるでしょう。そういう思いで、今はあえて富山にこだわって、僕は活動しています。