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死体は島の中央部にある小さい沼のぐるりの薮の中に埋葬された。そして島には花がないので海岸の白い砂を土饅頭の上に撒いてやった。

病魔の猖獗(しょうけつ)ぶりは一年前と殆ど同じで、人々は為す術とてなく、ただおろおろ怯えおののく許りであった。ついに四番目の犠牲者は狐狗狸(こっくり)さん信者の四十男だった。男は息を引きとる間際、「死ぬぞ、死ぬぞ、みんな死ぬぞよ」と譫言のように狐狗狸さんのお告げを口走ると、それを聞いた島の人たちはもう仕事どころの騒ぎではなかった。

現場責任者である片倉作二郎は便船のあり次第、島を離れることに肚を決めた。本来ならば真っ先に姿をみせる筈の水谷新六の所在も不明で、片倉のみならず島のすべての人間が立ち寄ってくれる船の姿を待ちわびた。

当時、上瀧商会は借地権も譲り受け、島の事業は新六と共同経営の形をとっていたが、経営の実権は商会側が掌握していた。その商会の差配するさまざまな労働条件は全く現地の実情を無視したものが多かった。現場の責任者としてその問題もある。片倉は島の人たちを励ます一方で、便船の来島を誰よりも焦った。

水谷新六といえば、あのローズヒル騒動の時も不在であり、ただいろいろな噂だけが囁かれていた。赤道直下のモルッカ諸島の辺りで海賊の襲撃を受け行方不明になった、とか……的矢丸はパラオの海に沈没した……いや、ラサ島のグアノ採集場で零落した新六らしい男を見た、とか……。

とにかく、いろいろな噂はながれてきても水谷新六のたしかな消息は忽然と途絶えてしまうのである。現在、彼の出身地である三重県桑名市の教育委員会では、彼に関するあらゆる資料の蒐集に当っているが、その没年はもとより墓の所在すら今だに不明であるという。まことに怪訝な話だが。

 

 

 

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