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天祐丸が主に雑貨、衣類などを満載して横浜を出航し、サイパン島へ向かったのは十一月中旬のことであった。しかし、現地に到着してみると、相手の取引業者の都合で一カ月間交易を延期される羽目になった。それではと、日本へ引き返す訳にもいかず、船主代理の水谷新六はこの際とばかりグラムパス群島探索の航海を企てたのであった。

新六は船主代理として乗船し、南洋航路を試みる度毎に、当時世界中の関心が集まっているグラムパス群島の発見に秘かな闘志を燃やしていた。従来、グラムパス島が所在すると喧伝される海域は小笠原島の南東二百カイリであるという。それを外国の捕鯨船の乗組員がさも現実に視認したかのように言い触らすし、また面妖なことに小笠原島の島民のなかには祖先代々の言い伝えのようにその実在を信仰している者もあった。

サイパンをいちおう出航した新六は、小笠原島から五百カイリ以上東に寄った、つまり北緯二四度、東経一四五度あたりの大海原をこの十三日間、当てもなく宝の島を探索していたのである。

緑と白砂の島陰のフチを飾るように白波が岸辺ように見える岩礁(リーフ)に盛りあがったり、消えたりするのが、肉眼ではっきり視える距離になると、十一名の水夫たちも右舷に寄り集まって騒いだ。

新六と船長の後備海軍大尉小林春三が一言二言(ひとことふたこと)呟き合うと、天祐丸はグィと面舵いっぱい切って舳先を島の一点に向けた。

しかし、その時であった。海図や部厚い自分のノートをめくりながら航海士の予備役海軍大尉早田六之助が何やらぼやくように、

「こりゃ、マーカス(MARCUS)島ではなかろうか……」

と、所見を述べた、博識の早田航海士の言うところによれば、

 

 

 

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