一
その日、俺は初めて長崎の町を見物した。すべては出島オランダ商館長代理ラスのはからいである。申し遅れたが俺の名前はウイリアム・ロバート・スチュワート。アメリカ東海岸の小さな港町で生まれ、十五の歳から指折り数えて二十四年間も船乗り稼業をつとめた甲斐あって、自慢じゃないが、いまでは三本マストで六百トンの貨物船イライザ号を持つれっきとした船主船長だ。
実は俺の日本訪問は去年に続いてこれが二度目だ。俺の船はオランダ国旗を掲げていても、日本に入港した最初のアメリカ船だ。
しかし去年は出島から一歩も外へ出る事ができなかった。サムライが支配するこの不思議な国の規則では、もう百五十年も日本と付き合っているオランダ人でさえ、特別なとき以外出島から外に出ることを許さないのだ。
それでも、日本人の町を見物したいという俺の再三の要望に、慎重居士のラスがとうとう折れて一計を案じてくれた。
いや、本当のところ、俺は町の見物なんてどうでもよかった。長崎に入港して二ヵ月が過ぎ、船と出島に閉じ込められた暮らしに、いいかげん嫌気がさしていただけなんだ。
ラスは長崎奉行にご機嫌伺いを兼ねて、積み荷の集荷状況を確認したいといって、出島を出る口実をつくった。おまけに今日は奉行所のすぐ近くにある大きな神社が年に一度の祭礼だった。ラスが持参したみやげのワインと砂糖菓子に気を良くしたサムライたちは、用談を済ませた俺たちが、町で少々の道草を食うことを大目にみてくれることになった。