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この質議やODAに関する第一次行政監察結果報告書における勧告が契機となって、翌89年度に実現され、以来きめ細かな援助、対応の早い援助として高い評価を得ている。

NGOによる援助活動には、草の根レベルで直接途上国の人々の二ーズを把握し、柔軟、迅速な対応ができるなどの利点がある。このようNGOの特性を活かすべく、NGOの自主性を尊重した上で、NGOとODAの連携強化の必要性が認識され、資金的に限られたNGOの活動を支援するため、NGO事業補助金制度が89年度以来実施されている。この創設の背景には、NGOとの連携の必要性を指摘した国会論議の積み重ねがある。

 

ODA基本法案の先駆としての田法案

では次に視点を変えて、「経済協力に関する議員立法の経緯」をみていきたい。1975年1月29日、第75回国会に社会党、二院クラブから参議院に提出された「対外経済協力の国会承認に関する法律案」(田英夫議員外1名発議、参第1号)は、その先駆と言える法案であった。

この法案の要旨は、対外経済協力が我が国の外交の中で果たす役割の重要性にかんがみ、1]政府は、民主主義の原理に反する統治を行う国に対する経済協力及び軍事目的に充てられる経済協力を行ってはならない、2]政府は、毎年度、国別、事業別の経済協力計画を作成して国会の承認を受けなければならない、というものであった。

外務委員会に付託された法案は、7月4日、賛成少数により否決されはしたが、その審議の過程で今日のODAに関する論議の原型が示されていたと言っても過言ではない。政府・自民党側からは、「援助計画が事前に公表されることにより、わが国の手の内が明らかになり交渉ができない(3)」「ある国に対する援助の予定が明らかになれば、援助を受けない他の国との問で問題が生ずる(4)」「国会の承認を要することとなれば案件の処理が遅滞し、援助手続きの迅速・簡素化の国際的要請に反する(5)」「いったん煮詰まった案件が国会で否決、減額された場合、相手国との間で問題が生ずる(6)」などの法案に対する問題点が指摘された。

これに対し法案の発議者である田英夫議員は、「交渉をしないうちに内容を明らかにせよというのではなく、交渉が煮詰まった段階で、最終的な取り決めがなされる前に計画として提示すればよい(7)」「政府が計画した経済協力の内容に問題がある場合は、国会が承認しないのは実は正しいのであり、いったん約束した経済協力を実施しないと対外信用を落とすというのは本末転倒である(8)」と主張した。

 

 

 

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