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目をつむると、たくさんのお顔を思い出す。と同時に一人ひとりの方との印象深い出来事が甦る。脳梗塞による身体障害と言語障害を伴う60代のBさん(男性)は、アパートの庭にブラックベリーを育てていた。30代で急死したお嫁さんが植えた思い出の木。一昨年の夏、リハビリを兼ねてBさんは黙々と実を摘んだ。冷蔵庫は4kgの実で満タン。そのままだと腐ってしまうので、私が持ち帰ってジャムを作った。美味しいジャムが7瓶もできた。Bさんは、日頃お世話になっているご近所の方に届けた。

ある日、帰ろうとすると夕立。Bさんが窓ガラスを叩き、傘を持つ身振り手振りで、傘を持って行けと合図している。「傘さして自転車に乗るのへたなの!大丈夫、家は近いから」と言って自転車を走らせた。身体は濡れて冷たかったが、心はポカポカだった。

父親のひとり暮らしを心配する息子さんの勧めで秋には施設へ。2年たったいま、Bさんにもらったブラックベリーの挿し木がぐんぐん伸び、今年は我が家でも収穫できそう。ブラックベリーに水やりする度、「どうしているかな…在宅で何とかやっていきたいと言ってたのにね」と、Bさんに会いたくなる。

90歳まで自転車に乗り、周囲をハラハラさせたCさん(男性)。私は散歩介助に入っていた。行きは自転車を押して歩くが、帰りは私を先に歩かせておいて、自転車でサッと追い越す。「転んだら大変よ。歩こう」と、口を酸っぱくして言ってもダメ。若い頃、室蘭で鉄道員だったというから、そうとう鍛えられていたのだろう。気骨のある方だった。(90歳6ヵ月で死去)

母親に愛人ができて、邪魔になった息子を海に落として殺し、保険金を手に入れた事件が起きたとき「いやだいやだ。わが子を海に落として殺すなんて。母親じゃない、鬼だよ」と、散歩中、何度も嘆いていた。明治・大正・昭和・平成と生き抜いてきた結果、こんな事件が起きる世の中になってしまうなんて。「世の中変わった。人の心も変わった…」と、相当ショックだった様子。そんな世の中にしてしまった責任が、我々現役で子育てをしている者たちにあるような気がして、明治生まれの方の嘆きに申し訳なさを感じた。

 

 

 

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