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(最初の嘆き)「彼女が何年たっても子供から成長しない。知能がそれ以上に発育しないだろうと知った時、私の胸をついて出た最初の叫びは“どうして私はこんな目にあわなくてはならないのだろう”という避けることのできない悲しみを前にして、全ての人が昔から幾度となく口にしたあの叫び声でした」

(心に決める時)「しかしこの疑問に対する答えはありようはずはなかった。決して答えが出て来る筈がないと最後に悟った時、私の心は一つの決心をしよう。自分の中に何かの答えをつくり出そうという心に変った。私は明らかに他の人たちとは異ったものを天から授った。このことを決して無駄にしてはならないと決心した。他のことならいざしらず。彼女の生命も価値あるものでなければなりません。(略)私はすぐにこのような決心をもつようになったのではありません。一歩一歩、それに私の決心がかたまっていったのでした」

(受容)「逃れることのできない悲しみを耐え忍ぶということは、何か独りで悟らなくてはならないようです。しかしただ、耐え忍んでいるだけでは十分ではありません。忍ぶことはただ始まりにすぎません。受け容れる心をもち、すべて受け容れられた悲しみは自ら与えるところがあるということを知らなくてはなりません。悲しみは叡智に変わることがあり、それは快楽をもたらすことはないにしても、幸福をもたらすことが出来るから」1)

 

2 「受容した家族」は「受容した社会へ」

パール・バックのこの心の流れをあとづけるかの如く大江健三郎は『恢復する家族』のなかで、次のように述べている。

「障害を持っている子供を、家族のなかに積極的に受け入れること。そして障害児をふくみこんだ家族のあり方を、これから生きてゆく基本の形としてとらえ、その方向で力をつくす。やがては、障害児ぐるみの家族が、そのこと自体において、独自の役割を、その地域社会において果たすことになる。あるいは、それを社会へのメッセージとなりうるまでに確かなものとする。それが障害を受容した家族ということではないか。その展開として、障害を受容した社会というイメージもあきらかとなるのではないか」2)

 

 

 

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