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Dr.Tsogtの強い指導の下で着々と準備を進め、1994年4月25日には新対策に移行することを公式に政府が認め、6月19日には厚生大臣令(Health Minister's Order A/90)が発せられ、7月にはすべての県の結核専門医を集めて講習会が開かれ、新プログラムがスタートした。

Dr.Tsogtらは、この結核対策の大きな改革を正しく周知し、新しい考え方と方法を全国の結核対策に携わる医師に理解させることを主目的とし、1994年9月12日から3日間、「The 1st National Seminar on Tuberculosis Control」を開催する計画をたてわが国に支援を要請してきた。結核予防会では日本財団の協力を得てこの要請を受けることとし、結核研究所副所長(当時)森亨ほか計5名を派遣し、さらにIUATLD(International Union Against Tuberculosis and Lung Disease、国際結核・肺疾患予防連合)の学術担当委員長のProf. Enarson,D.A.も招請してセミナーを開催することとした。このセミナーはモンゴルにとっては世界的な考え方に基づく新しい結核対策の実際の幕開けとなり、大きな成果を挙げたのだった。

 

2) 策2回全国結核セミナーの開催

新しい対策は、排菌陽性患者を中心とする診断・治療、外来での短期化学療法、新しい登録・患者カードなどの採用など、従来のソ連式対策とは大きく違うため、新しい考え方の理解と普及は現場の医師などには大変な仕事であった。このため、多くの疑問、質問も出され、正しい理解を深め、広げることが緊急の課題となった。このため、Dr.Tsogtは「第2回全国結核セミナー」開催が必要と考え、再びわが国に支援を要請してきた。折しも世界的にはWHOの新政策である「DOTS戦略」による対策の強化が進められており、モンゴルの新結核対策を援助する事は重要と考え、日本財団の協力の下に第2回セミナーも支援することとし、1995年8月に開催された。

わが国からは結核研究所所長(当時)青木正和以下計4人が参加し、さらに第1回にも参加したIUATLDのProf.Enarsonの他、WHO西太平洋地域の結核担当官にも参加を要請して第2回セミナーは開催された。この時は全国の結核担当医からの主な質問14項目を前もって集め、これに対する回答を作り、さらにセミナーではこのモンゴル語訳の小冊子を配布して正しい理解を得るように努めた。IUATLD、WHOの担当者から直接、新政策についての講義を聴く機会を作ったことも非常に有効であった。

われわれはセミナーの開催に際して、WHOなどの結核対策に関する基本的文書を翻訳・出版することも支援した。さらに、モンゴルでは新政策への移行に際し、WHOあるいはIUATLDの指針をただ翻訳してそのまま実施に移すだけでなく、モンゴルの実状に合致するよう改め、さらに、家族検診、化学予防など発展途上国ですぐに採用する事は困難とされていた項目も加えて、新対策が進められたのである。こうしてモンゴルの新結核対策は次第に軌道に乗って動き出した。

この頃、旧ソ連傘下の大部分の国々ではこのような対応が出来なかったばかりか、社会、経済的事情の悪化のために結核蔓延状況は年々悪化を続けていた。旧対策から新対策にこのように順調にできたモンゴルは例外的な国だったのである。

 

 

 

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