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集落の東側背後には崖がせまっているが、海水はこの崖の面を遡上して、表面を覆っていた植物と表土を持ち去った。その痕跡によって、海水はここで13.2mの標高にまでかけ登ったことが判明した(図2)。

この初松前の地点は、震源海域から見て青苗岬のいわば背後に当たっていて、その突き出た砂州が防波堤の役目を果たしてくれて、一見津波には安全そうにみえる海岸である。ところが、実際には、この安全そうに見える場所で津波が特異的に高くなったのである。この集落からわずか1kmあまり東側には、松江の本集落がある。こちらの方は全く無事で、津波による人的被害も、家屋被害もまったくゼロであった。われわれの調査では、松江本集落での津波の高さはわずか4.8mであった。それでもこれだけの津波浸水高さであれば被害がでそうであるが、この集落の家屋の敷地の標高がこれを上回るところにあったため被害を生じなかったのである。

 

2. 北海道南西沖地震の津波の数値計算結果

地震発生の直後から震源海域には何台もの海底地震計が北海道大学により設置され、詳細な余震観測がなされ、地震によってどういう滑り面が動いたのかがおぼろげながら解明された。この滑り面の詳細な議論はその後の研究成果により正確な議論がなされたが、およそ図3のような2枚の滑り面を仮定して、図4のような海底の上下変動が計算された。

 

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図3 北海道南西沖地震の地震断層モデル(加藤ら:1994による)

 

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図4 地震断層モデル(図3参照)に基づいて計算した地殻変動の上下成分

 

この地殻変動は、奥尻島の年南端部が約70cm沈下し、また北端付近が20cm沈下するという実際の奥尻島で観察された地盤沈下のようすとよく符合するものである。

この地殻変動を初期値として与えて、津波の数値計算を行ってみると、津波の波源から直接やってきた第1波は、島の最南端の沖合を地震発生の約6分後に東向きに通過し、7分後には、島の最南端の岬を中心とするように時計回りに回り込んで背後の、ちょうど初松前の付近に集中することがわかった(図5)。

 

 

 

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