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御供船は今日では7、80人乗りの動力船を使う。これは交代用の水夫4、50人、それに元水夫や地区の役員、子どもらが乗船するためである。今日ではレースごとに水夫は交代するが、ずっと以前は水夫は14人と決まっていた。つまり、レースから御供船の曳航まですべて14人の水夫がおこなった。無動力船の時代は漕ぐ技術に長けた水夫は地域の花形であった。その時代は青年も多く、その中から水夫に選ばれることはたいへん名誉なことであった。水夫は練習を重ね、祭日の前日船頭によってハンテンが届けられると選手になった。

13日、早朝より地元の人達が見守るなか、太鼓の音が鳴り響き、かけ声とともに櫂伝馬の調整をする。そして8時頃、各地区の櫂伝馬は古江の公民館広場に集合する。ここでは当地区の指示に従う。神事が終わると、第一レースのおこなわれる外表地区に御供船に曳かれて伝馬船が向かう。そして目的地へ着くと、各地区の伝馬はレースのために練習にはいる。各チームそれぞれ思い思いに練習をする。2隻が並ぶとミニレースが展開される。これらはレース前の調整と思いきやレース前のサイレンが鳴ると各チームの舟は自軍の御供船に帰り、メンバーは一新される。単なるデモンストレーションにすぎないのである。

かつてはこのデモンストレーション的練習が本番だった。つまり練習中で並んだ舟が自然に競争になり、太鼓の音とともに浜まで思い思いにレースをした。舟が浜に乗り上げると、一番前の七番櫂が飛び降りて遠くから見てもわかるようにハンテンやハチマキをふって優劣を競ったという。こうして別々の相手と対戦すること3回余を繰り返した。この一部終始を審判船がみて優劣をきめた。こうしたレース形態を各地区で繰り返し、夕方まで何十回となくレースを行った。レース回数が決まっているわけではなく対戦勝率で優劣を決めた。最多数対戦した地区には敢闘賞が送られた。

しかし、今日ではサイレンが鳴ると、舟は一直線に並び一斉にスタートする。距離は往復800から1500mで浮輪を回り返ってくる。中には周回コースのところもある。スタートの並び方は、今では潮の流れを熟知した地元のチームが最良のコースをとり、残りはくじ引き順に並ぶ。8年前まではレース会場でくじ引きを行っていたが、混乱のもとなので、あらかじめ抽選をするようになった。

レース中はもちろんウォーミングアップ時でも台ふり、剣櫂ふりは身を低くして舟底にくっついたままである。レース終了後、緩漕になると、台ふり、剣櫂ふりともに采・小さな櫂をもって踊る。その時は水夫らもハンテンを着て正装する。

また、各地区でそれぞれレースをおこなうが、レースが終るとそれぞれのチームに金一封が贈られる。その時は船の乗員は正装して受ける。時には笹竹にタオルをたくさんとりつけた贈りものが贈られる

なお、白水地区では休憩がとられ子どもらの櫂伝馬競漕が盛んにおこなわれる。

町をあげてお盆行事として行われる。

 

10] 厳島神社 十七夜祭

・広島県豊田郡木江町

・旧6月17日

・木江町区町会 TEL08466-2-0300(町役場)

・櫂伝馬 櫂 漕ぎ手14人 大櫂(梶)1人 剣櫂、台振り、太鼓1人

★広島の厳島神社管弦祭に因んで行われる。櫂伝馬の起源については、水軍すなわち倭冠あるいは海賊との因縁があるといわれ、この軍船の遺物が幕末から氏神の祭礼に余興として伝え残されたものであるといわれる。

 

 

 

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