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御供船に飾りつけられた提灯と地区海岸線いっぱいにはられた提灯が暗闇のなかで放つ光景は実に素晴らしい。だが、今日では陸路の御神幸は姿を消している。したがって最初から古江地区の御本船を兼ねた御供船に神輿を乗せて6地区の海上渡御を行い、レースの終わった矢弓から再び隊列を整えて還御するといった具合である。

現在は櫂伝馬競漕がこの祭の中心になっている。

この祭りは本来旧6月29日を祭日としていたが、水夫不足などの理由から、お盆に帰省する青年の協力を得るために昭和63年から現在の8月13日に変更された。

住吉祭は、明治の終わり頃までは島の北西部にある古江、盛谷、白水、矢弓の四地区の祭典であったが、後に島の北東部垂水、外表、鮒崎地区、それに周辺の島々が加わって町全体の祭典として形を整え今日に至っている。しかし残念ながら徐々に参加地区が減少しており、2、3年前まで8チームあった参加チームが半減している。その理由はいずれも地区の青年の減少による。

櫂伝馬競漕の練習が開始されるのは梅雨があけ、夏が到来する7月20日すぎの人出の多い週末である。練習期間はおよそ20日間。旧暦の頃は6月17日(十七夜)の管弦祭の日に舟おろしをして、6月28日までの12日間にわたって練習した。各地区とも専用舟を有するため独自におこなわれる。専用舟は現在は全長11m10cm、戦前では35尺以内としているだけで、舟の規則はその他舟幅も櫂の長さやその型についても制限していない。大正期には16から24丁の舟があったという。明治期には山伝馬と呼ばれる農業舟に櫂棚をあけて使用したという。

8月12日夕方には、各地区の御供船の飾りつけが元水夫らによって行われる。水夫は自宅で休養をとる。

 

 

 

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