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日常生活に見るタンザニアのプロフィール

2000年のシドニー・オリンピックではアフリカ勢が華々しい活躍を見せました。マラソンや1万メートルなどの長距離競走ではエチオピアやケニアなどの選手が金・銀のメダルを数多く手にしました。殊に、サッカーではカメルーンがブラジルやスペインなど並み居る競合を倒してみごと優勝を果たしアフリカ中を沸き立たせました。

平日の夕方や週末の午後になると、街でも村でも大勢の子供たちが小さな広場に集まってきます。サッカーに興じる子供たちです。サッカーはいまタンザニアで最も人気の高いスポーツになっています。しかし、ここにも貧しさが顔をのぞかせていました。一昨年見たときには石ころだらけの原っぱを裸足でボールを追う少年が少なくありませんでした。地方では、古布を丸めて糸を巻く手製のボールを蹴っていました。サッカー・ボールも靴も手に入らないのです。

戦後、物資のない日本で、ぼろ切れを丸めてボールをつくり下町の路地裏で“三角ベース”(野球)に興じた自らの姿を思い浮かべ、いつの日か、もっと大勢の子供たちに本物のサッカー・ボールで将来の夢を追いかけてもらえるよう応援したいと多少センチメンタルな気持ちになりました。

主都ダルエスサラームにはいろいろな顔があります。変化し続けるその横顔の一端をご紹介しておきます。

その一つが地方からの急速な人口流入です。全国の人口は3000万人を超えるといわれ、その一割強がここに暮らしています。その多くが地方から都会に仕事を求めて流入してくる若者たちです。「正規」の職場が見つからず、“マチンガ”と呼ばれる街頭の物売りになります。この名前はカシュー・ナッツの生産で知られる南部のリンディ州にムチンガという名の村があり、そこから出稼ぎに来た若者たちに由来するとのことです。営業登録をせず、従って税金を納めないインフぉーマル・セクターの一角を為し、現状では流通の大きな部分を占めています。生きるために逞しく立ち働く彼らの姿で街には活気が溢れていますが、収入の低さから小さな犯罪に走るものも出てきています。帰農の進めもさることながら、政府には就業機会の増大に一層の努力をして欲しいと願わずにはいられません。

街を走る自動車の増え方も市の様子を大きく変えています。「…市教育委員会」、「…消防署」、「…結婚式場」あるいは「…幼稚園」などの日本名を冠した中古車が多いのですが、最近では新車の四輪駆動もその台数を大きく伸ばしています。市内を走る車の九割方は日本製だと言われています。この事を市民が車を持つことができるようになった証と考えれば喜んで良いのでしょうが、それ以上のスピードで進む大気汚染が気がかりです。また、街にはダラ・ダラと呼ばれる私営の小型バスが走っています。その数は5,000を大きく越すと推計されています。

毎日、街のあちこちで行き先を伝える威勢のいいかけ声が聞こえます。声の大きさは大晦日を控えた御徒町の魚屋さんの如くです。料金は区間に応じて100〜200シリング(1米ドル、約800シリング)と安いのですが、交通渋滞や大気汚染の元凶として非難されることが多くなっています。時間もお金もかかるのでしょうが、クリーン・エネルギーを利用した公共バスや、海岸沿いや市内と空港を結ぶ路面電車などができれば、市民にも観光客にも楽しんでもらえる快適且つ安全、便利、安価な交通手段として歓迎されると思うのですが、夢の見過ぎでしょうか。

地方に目を転じます。農業をこの国最大の産業とするだけあって、農産物が豊かです。

主食のメイズ(トウモロコシ)を始め、米あり小麦あり、季節の野菜や果物が実に豊富に獲れます。

 

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中国の支援で作られたTAZARA鉄道中央駅

 

 

 

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