2. 江戸の渡し舟
(1) なぜ橋でなく渡しか
江戸周辺の川は重要な防衛線であったことから、幕府は江戸時代の初めには、千住大橋以外の架橋を認めなかった。その後、明暦の大火を契機に両国橋、新大橋及び永代橋が架けられ、隅田川東岸の本所、深川の発展に大きく寄与した。それでも、江戸時代全体を通じて、隅田川にかかっていた橋はわずかに五橋にすぎなかった。他の川も同様である。
江戸時代に、このように橋が少なかったのは、一つは軍事上の理由であり、もう一つはその維持管理に多額の費用を必要としたためである。また、江戸時代は水運が大変重要で船が下を通る川の橋は、舟の通行に必要な高さを確保した高橋にしなければならず、また、当時の舟は動力が無かったため、川上へ登る時は平行する道路から人が舟を綱で曳く曳舟が必要であったことから、そのような所では橋が邪魔になった。図2は、歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』の「四つ木通用水引ふね」に描かれた曳船の図である。この図を見るとそのことがよくわかるであろう。曳船のために橋をかけなかった所も多い。