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QE2は、20時50分にオーク・ブラッフの町に近い錨地を発航した。予定発航時刻は、20時00分であったが、観光に出た旅客を帰船させるのに手問がかかったため、約50分遅れの発航となったのである。発航の際、船長は、操船指揮につき、マサチューセッツ州公認水先人に操船を委ねるまでに、機関とバウ・スラスターを使って船首を所定の方位に向けさせていた。この水先人は、この日の午前中にヴィンヤード海峡を内海に向かって嚮導した水先人と同一人である。水先人は、抜錨のあとで、“思い出せば、調子良く走って何時に水先人下船地点に着くだろうか。”と少しだけ話し合ったと記憶していた。そして、“進路については、自分に言い聞かせるような具合に、“基本的には、入航したのと同じ進路を逆行する、と話した。”と証言している。出航進路について、船長は、ナビゲーター(注1)がヴィンヤード海峡を外海に向ける、計画進路を船長に示したとき、これを承諾したと述べている。船長は、水先人の予定では“NA”灯浮標で進路を変え、ブラウンズ・レッジ礁の浅瀬の北側を通航して、水先人下船地点に向かうようになっていることに気付いていなかった。

船長と水先人の他に、QE2の船橋内には、8-12(08時00分-12時00分、20時00分-24時00分)の航海当直者が在橋していた。そのメンバーは、一等航海士(先任当直航海士)、二等航海士、甲板手、それに操舵員であった。操舵員は、舵輪の操作に当たり、直接、水先人からの指令を受けていた。指令の伝達が困難であるとかについて、水先人と他の船橋当直者との間で話合われていたことはない。

本船のレーダー二基は、共に使用中であった。操舵室前方のレーダーは、船長と水先人とが使用し、後方のレーダーは、二等航海士が船位測定用に使用していた。三基ある音響測深儀(注2)のうちの二基が作動中であった。作動していない一基は、アナログの読取り型式で操舵室に設置されていた。作動中の二基は、記録紙を取り出すことができ、海図室に設備されていた。操舵装置は、手動となっていて、二基の操舵機用油圧ポンプが作動していた。

QE2は、オーク・ブラッフ沖錨地を発航したのち、近くに小型船舶やフェリー・ボートが多数航行していたことから、機関を微速力にして進行した。船長がヴィンヤード海峡の速度制限について水先人に尋ねたとき、水先人は、交通の激しいときは別として、特に制限はないと答えている。ほぼ21時15分QE2は、26号灯浮標を右舷近くに見て、ヴィンヤード島の北端にあるウエスト・チョップ岬を回った。錨地近くの船舶ふくそう水域から十分に遠去ったので、速力は、15ノットから18ノットに上げられていた。二等航海士が測定した船位を基に、運輸安全委員会が算出したところ、21時14分から21時24分間の平均速力は、17.5ノットであった。

 

 

 

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