4) 中井源左衛門家
中井家に関しては建築だけでなく近江商人としての商法や家の発展などについても様々な研究がなされているiii。
住宅についての特徴はまず規模が巨大であることで、敷地は表通り指渡11間半、奥行23間半5寸でる。部屋数は13〜4室におよぶ。これは喜多川守貞のいう巨戸にあたる。表通りに面し、玄関通門、本家門口と路次門の3つの出入口があり、中規模の家屋にみられた塀や前栽はない。当家は格式意識が強く、座敷部分を中心に構成されていることが注目される。その後、幾度か改築され、現在は前面に門塀を設けるなど当初は特異な平面を持っていたが次第に他の家屋に近づいていく。
5-2-2 日野の町家の現状
次に今回の調査で実測した民家3軒について述べていくことにする。
1) 小椋平八家 屋号;大籐(だいとう)
当家は村井の本町通に面する北側に位置しており、蒲生氏郷の時代に永源寺の西小椋村から移転してきたという。建築年代は不明である。現在の敷地は間口11間、奥行はおよそ18間と間口は2軒分ある。道に面して主屋が建ち、その奥にニワ、増築した浴室などがあり、さらに便所と中庭、6畳2室の離れが配され、さらにその奥には土蔵が2棟ある。以前、主屋の東側は他の人の住居が建っていたが移転を機に取り壊し畑になったので、当主が購入したという。現在その畑は道に面し一部がガレージになっている。
主屋は切妻造平入桟瓦葺き、平屋建てである。小屋は登梁組であり、門口の上部は薪を収納するスペースになっており、つしも以前は使われていた。部屋の境は差鴨居が用いられている。平面形式は、日野で一般的な田の字型つまり整形四間取であり、この地方の農家に類似した平面であるといえる。4畳のデノマ、ダイドコロは6畳であり喰違いではなくダイドコロ2畳分がニワ部分に張り出している形になっている。座敷であるオクノマには妻面に通り側から二間を3:5の割合で床の間と仏壇が配されている。床の間は奥行きが浅く、その奥はデッドスペースとなっている。これらの特徴は、野洲町、愛東町、中主町などの農家でも見られるiv。デノマとオクノマの前面には縁があり、その前には前栽がある。
外観はデノマの部分に格子が入り、オクノマの前面には腰壁部分がブロック塀である桟敷窓付きの板塀が囲む。塀は瓦葺きの小屋根がつき、桟はベンガラで着色されている。約20年前の増改築で、主屋を東側に1間ほど広げ、ダイドコロのニワ部分に床を張り、ダイニングキッチンとし、ダイドコロに天井を貼った。
iii 『滋賀県の地名』平凡社 p.501 [中井家の商法] 他
iv 上野邦一編『中主町のすまい』 中主町教育委員会 1996年 p.6