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国際保健協力フィールドワークフェローシップに指導専門家として参加して

「雑感」

永井周子(国立国際医療センター小児科)

 

3月の半ば、4年ぶりにフィリピンを訪れた。上空から見たマニラの街は以前よりビルの数がぐっと増えたようだった。空港内は4年前と比べすっきりとしていて、冷房の効きもよく、人々の服装もこざっぱりとしていた。ここが東南アジアなのだという実感はどこにもなかった。交通事情は悪化していた。マイクロバスで空港から街中まで向かう渋滞の中、雷鳴がとどろいた。日本では真夏の盛りににしか聞けないような天空をつき地響きを伴う雷鳴。しばらくしてから降り出したシャワーのような大粒の雨は、まるで私たち一行を歓迎してくれているかのような降り方だった。激しく地面をたたきつける雨粒を眺めながら、私は体中に張り付いていた緊張感が解けてゆくのを感じた。そう、私も、久しぶりなのである。私は私の立場で、見て、聞いて、感じてゆこう??。

研修医2年目の3月、私は10日間の海外出張をすることが出来た。病棟での業務と直接は関係ないが、私の働く原動力となっている国際保健医療分野での研修に参加するためである。プログラムは、「国際保健協力フィールドワークフェローシップ」といい、私の立場は、「指導専門家」という、名前がついていた。このプログラムは、笹川記念保健協力財団が1995年から行っているもので今年で6回目になる。全国から医療・看護・福祉を学ぶ15名ほどの大学生を募り、ハンセン病・結核などの基本知識を日本で学び、その後フィリピンにてフィールド体験をするという約10日間の企画である。WHOのトップからスラムの子どもたちまで、幅広く出会うことができる大変ユニークな企画である。さらに、全国から集まった学生同士がチームとして行動することで、同じような分野に興味関心のある生涯の友人とめぐり合う機会も秘めている。私自身は、大学4年から5年の春にこのフィールドワークフェローシップに参加した経験を持つ。そこでの体験は、その後の私の人生の方向性を変えたといっても過言ではない。めぐり合った友人もすばらしいものであったし、何よりも国際保健医療という分野の魅力に取り付かれてしまった。いつどのような形でかはわからないけれど、将来必ずこの分野で働きたいと心に誓ったのは、4年前のプログラムの最終日であった。そのフィールドワークフェローシップに、今回は「指導専門家」という立場で参加するのである。卒業し研修医として働き出して2年、たしかにそれなりの経験は積んだけれど、一体何をどのように「指導」すればよいのだろうか。そのような思いにとらわれていた際に出くわしたのが先ほどの雷鳴とスコールの洗礼であった。ああ、ここはフィリピンなんだ、またここに来たのだと、その時はじめて実感した。

今回のプログラムは大変恵まれていたと思う。フィリピンにもフィールドワークフェローシップにもおなじみのスマナ・バルアさんも「指導専門家」として同行してくださったからである。また、事務手続きは笹川保健協力財団の松本さんが一手に引き受けてくださったし、さらに国際医療協力の専門家である日本財団の山田さんが、比較的自由な立場でサポートしてくださった。万全の布陣である。また、受け入れ側のフィールドの方々も、皆、このプログラムの主旨を十分に理解してくださっていた。そのお陰で、短期間で信じられないような盛りだくさんの研修を受けることが出来たのだと思う。

 

 

 

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