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フェローシップに参加して

下島圭子(信州大学医学部4年)

 

帰ってからすぐに、今回の旅行記をまとめようと思ったのだが、あまりに色々な事を短期間に経験したため、自分の中でそれらを整理して言葉として表現するのはとても難しくて、書く気が起こるまで実はなかなか動き出せずにいた。2週間たって、やっと何らかの形として残しておこうと思えるようになった。

この1年間を含めて自分が今まで何を考えてきたか、どんなふうに思っていることが変わったかなど、勢いに任せて綴ってみたい。

自分がこれから医者として何がしたいのだろうか。また、医者という職に就くことを抜きにしてどんなふうに生きていきたいのか、ということを、去年の夏からぼんやりと考え始めていた。同級生の中には、もう明確に自分のやりたい事をはっきり見つけて、興味ある分野に向かって進み始めている人もいて、自分もそろそろ真剣に考えなきゃなあ、と感じることは今までもあったけれど、なかなか一つにこれだと言い切れるほどの目標は見いだせずにいた。今思うとこれまで、基礎医学の勉強を何であんなにまじめにやれたのかと思えるほど頑張ってしまった。それは、未だコレとひとつにしぼれるほどのやりたいことが正直言ってわからなかったから、とりあえず選択肢は広げたままでいたいと思ったからだった。ぎりぎりまでどう転んでもいいようにしていたいという決断力のなさもあったかもしれない。

去年の夏休みに、部屋からぼーっと青空を見つめていたとき。本当に唐突に、だったと思う。自分はものすごく恵まれて育ってきたのだと感じた。(何でいきなりこんな感情が生まれてきたのか、今でもわからない。)勉強さえしていれば許される生活。衣食住が当たり前に満たされている生活。欲しいものがそれほど苦労なしに手に入る生活。生命の危機なんて全く考えずにいた生活。そんな中で今まで自分は20年ほどぬくぬくと大きくなってきていたのだ。この20年間、精神的な面について言えば、私はあまりに世間知らずで、視野が狭くて、自分のことしか考えずに生きてきたので、問題は沢山あってホント自己嫌悪に陥ってしまうことは度々なのだけれど、(それは私自身の考え方に問題があったわけで置いといて)物質的な面では、私は充分過ぎる環境で生きてきたと思う。もう十分だ、と思った。

今までの状況は、私が望んで手に入れたものではなかった。たまたま、こういう両親のもとに生まれてきたというだけだ。単なる偶然と言ってしまえばそれだけのことだ。でも、世界に目を向けたら、こんな恵まれた環境の方が珍しい。毎日、生きていくのに精一杯の子達があふれている。私はそういう現実を知ってはいたけれど、目を向けようとしてこなかった。真剣に考えようとしてこなかったのだ。

これから、人のために生きていきたい。いくら知識を増やしても、他人の役に立たなきゃ、私が今までのほほんと生きてきたことへの償いにならないのだ。そういう感情が自分の中で沸き起こってきたときに、やっと自分がこれから何をしたいのかが見えてきた気がした。

私は種を蒔く人になりたい。たとえ一万個の種を蒔いて、そのうち1個しか芽を出さなかったとしても、それでも蒔き続けるだけの強さを身に付けた人でありたい。人間はいつか死んでしまう。形あるものはいつか壊れ、なくなっていく。目に見えないもので、何かを残せていけたら。でもそれはどんなふうに?

 

 

 

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