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New Elder Citizens

新老人の生き方に学ぶ5]

 

絵ごころ

岡本啓二(76歳)

何年か前になるが、ある画廊で『きままな絵筆』という、作家池波正太郎さんの文画集を見たことがあるが、なかなか味があって面白い。自然体の描き方が見る人を魅了する。

そのうまさというものは、美術学校を出た専門絵描きのような精密なデッサンにはなっていないかもしれない。またこまかな筆の運びを言えば、理に叶っていないところがあるかもしれない。しかし、そんなことはあっさりと超越して『絵』自体が、いつもなにごとかを語っていることがうれしい。悲しみとか、倦怠とか、ある種の空虚感みたいなものが厳として存在していて、私たちに何かを語りかけるように画面の奥にひそんでいるように見える。その上『絵』そのものが、一つの物語になっているように思えてならない。

ところで日ごろ忙しい私たちは、何だかなにかに追いかけられているような錯覚におちいることがある。まして画帳を前にゆったりと写生をするなんてことはなかなかできないことだ。

私自身たまには自宅を離れ、街を出て空気のよいところへ写生に出かけたいと願っている。時間がないときは写真にとってそれをあとで絵筆に写しとるという作業もあるが、やはり実際の風景を目の前にして、その場で絵筆をふるうほうが、出来上がってきた絵に奥行きが歴然とあらわれてくるのではないかと思う。

私は趣味で絵画に親しんでいるが、ひとりの老人として己の目で見つめ、己の心で自分の肌で感じとったものを描きたい。自分で車を運転して、“おや、これは”と思うものに遭遇したらそこで真剣に絵筆を持ち風光明媚とはいかないまでも心になにかしら響いてくる「無名の風景」を描くことを心掛けている。そこに絵の心が宿ることを信じるからである。

優れた骨董商は、本当に値のはる良い品は店頭には飾らないということを聞いたことがある。多くの人の目に曝すということは『目垢が付く』といって嫌うのだそうだ。

風景だって同じだ。観光バスに団体で行って一定の展望台のような所で皆が眺める風景。それは「定評ある風景」かもしれないが、べったり目垢に汚れてしまっているのではないか。たしかにみんなが認めている風景ではある。しかしあまりにも大衆化してしまっているものを、さも目あたらしく己に言いきかせようとするとどうしても無理が伴ってくる。むしろ無名の町の無名の建築やらあまり人の行かないなんでもない農村の風景やら、要は「自分だけの景色」を見ることによって心が洗われるのではないか、と思われてならない。

なお言うと、特別の場所を除いて、余程でない限り乗り物を利用せず歩いて行きたい。粗末な晩めしでも普段食べている肉よりうまく食べられ、その日どこで落ちつくか、予定もなければ、朝もせかされて出かけるような忙しさもない。ふだんとちがった体験をすることによってちがった意味で心身とも清められ明日への意欲が湧いてくるのではないだろうへか。

そして旅のことを巡らしてみると、俳人芭蕉のころが偲ばれる。当時はいまとちがって旅はまことに不便だったにちがいない。しかし芭蕉は旅の妙味と自由奔放な生活を心得て自分なりに楽しんでいたにちがいない。私自身絵を描く姿勢をどうしても芭蕉にだぶらせてしまう。それは、俗悪さを好まないことにも原因があるように思えてならない。

 

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