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天からの贈り物

―第87回―

野村祐之

 

進化のおくりもの

まもなく米寿を迎える父が脚を骨折して入院。それまでは日常の身づくろいもほぼ自分ででき、天気のいい日には散歩に出たり近所のスーパーやコンビニに出没したりしていました。ところが人間、どんなに元気でも脚の骨を一本折っただけで行動半径は限りなくゼロに近くなってしまいます。入院してベッドに横になっても動きがとれず、予想以上のハンディキャップになってしまいました。

「老化は足からくる」とよくいわれます。これも「まず足が弱る」という意味と、「いったん足がトラブるとたちどころに老化が進む」という意味の両面があると気づかされました。前者の意味では父もふだんから足を使うよう心掛けていたようですが、ひいきの引き倒しというか、出歩いていた先での転倒が遠因になっていたとすれば、それが裏目に出て後者の状態を呼び込んでしまったといえそうです。

「人間、脚の骨を一本折ると」ともうしましたが、これは人間ならではの問題なのかもしれません。すくなくとも動物たちは犬や猫にしろ人間と近縁の猿やチンパンジーにしろ、脚の骨一本折っても残り三本の足を使って不便ながらどうにか動き回ることはできそうです。つねに四本の足で体重を支えていることの利点かもしれません。ところがわれら人間は長らく二足歩行一本槍でやってきてしまったもので、そうたやすく四足歩行にはもどれません。ためしに手足四本で床にはいつくばってみればわかります。元気な若者だって1分とその姿勢で歩き回るわけにはいかないでしょう。

つまり脚一本の故障でダウンというのは、人類が直立歩行を選び取ったとき以来背負い込んだ数百万年来の宿命、トラブルということになるのかもしれません。

個体の発生は進化の道すじをくりかえすという説があります。われわれは母胎の中で、単細胞状態から始めて原始的な動物の形態を取り、さらに魚類のようにエラをもち両生類の段階を経てヒレ状の部分が手足の形となり、そのうち爬虫類に負けないくらい立派なしっぽも退化して、いよいよ哺乳類レベルになると豚の子と見分けがつかない状態から猿の子のように頭でっかちに発育し、ついにヒトとして生まれ出てくる、という見方です。この胎児の発達段階を図示したものを見ると、なるほど確かにと思わされます。

ところでこのプロセス、この世に生まれ出て「めでたし、めでたし」ではなく、その後もさらに継続しているのではないでしょうか。というより、出生の時点でくらべればちょっと後戻りなのかも知れません。月満ちて生まれてきても人間の赤ちゃんは動物的にはまだまだ未熟児。四足歩行を獲得するのは何カ月もたってからです。

その遅れを取り戻そうというわけではないでしょうが、半年くらいかけてやっとハイハイできるようになったと思うやいなや、四つ足で歩きまわることをろくに楽しもうともせずすぐにつかまり立ちを始め、またたくまに直立二足歩行に移ってしまいます。

四足歩行のメリットを自覚してあの技をもう少ししっかり身につけておけば、老年になって足の一本くらいトラブっても「昔とったきねづか」とばかりに…というわけにもいかないでしょうが。

ギリシャ神話に、スフィンクスが旅人に問いかけた謎というのがあります。「朝は四本足、昼は二本足、夜になると三本足になるものなーに」というのですが、その答えは「人間」というわけです。ここでも四本足に始まって二本足、三本足で終わっています。つまり人間という存在は杖をついて二足歩行する姿で終幕、というわけです。

父のように、杖をたよりにしてももはや立って二足歩行できないようでは、人間の条件から外れてしまうのでしょうか。

もちろんそんなことはありません。人間が二足歩行と引き換えに得たもの、それは大脳の圧倒的な発達です。この最大のメリットによって二足歩行のデメリットは克服できるはずです。そのときいちばん大切なことはハンディキャップを理解する知恵、その不自由さ、フラストレーションに共感し、共に生きる喜びをわかちあうこころ。それこそが人間を真に人間らしくするたまものではないでしようか。

(つづく)

 

 

 

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