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天からの贈り物

―第86回―

野村祐之

 

文殊の知恵の活かしかた

大腿骨を骨折して入院した87歳の父ですが手術後めっきり食欲が落ち、とうとう必要カロリーを口から摂取することは不可能になりました。

食事をせず、酸素吸入のノズルを24時間鼻に装着していることもあってか口内が乾ききり、舌が腫れ、唇はかさかさに荒れています。見舞いに行くたびにガーゼを水に浸して唇と舌を湿らせてはみるのですが焼け石に水。といってほかになすすべもなく、すこしでも楽になればとガーゼを当ててみます。

5歳になる娘の祐香が、その一部始終をベッドを遠巻きにして見ています。おじいちゃんの舌が腫れ、多少意識の混濁もあって言葉が聞き取りにくくなったころから祐香はベッドに近づくのに慎重になりました。

僕がひとしきり作業を終えたのを見計らって祐香が呼ぶしぐさをします。なにかと思っていっしょに廊下へ出ると、神妙にこういいました。「あした、わたしのリップクリームを貸してあげるから、おじいちゃんに、つけてあげて。そうしたら、よくなるかも。」

クリスマス・プレゼントにもらったお化粧セットの中に入っていて、外出時にはママの口紅をまねて忘れず付けているリップクリームです。「そうか、そういう手があったか」と、僕はハッとしました。さっそく近くのスーパーか薬局へ買いに走りたいところでしたが、せっかくの祐香の申し出です。おじいちゃんにはもう一晩我慢してもらって、翌日、彼女のを借りることにしました。

 

気がつけば父が倒れて以来、僕は自分を介護の主人公と決めてかかり、妻に対しても「僕の父のために済まないね、ありがとう」という気持ちでした。あくまでも僕が主演男優賞、妻は助演女優賞です。そして娘の祐香ともなれば、僕の父と共にわれわれの夫婦の“保護対象“でした。

その祐香からのこの提案は目からウロコ。わたしたちの介護のありかたへの大きなヒントになりました。

いままでは、まるで皿回しが何枚もの皿を落とさず回し続けるような緊張感で、父のことも、祐香も、仕事も、生活上のもろもろもすべて上手にバランスとって、頑張ってきたのです。

そして、この「あれもこれも」のバランスが崩れ、「あれかこれか」の択一状態になったとたんに、もう大変。即パニック寸前です。

ベッドに手足を縛られている父のもとへ一刻も早く行きたい。だけど娘を保育園に迎えに行く時間が迫っている。ええいっ保育園から病院へ直行だ。おっと遠回りしておむつとお尻拭きの補充を買っておかなければ。

その矢先、ファーストフード店の前で祐香が景品のおもちゃに目を留め、猫なで声で「お腹すいたぁ」などといおうものなら、問答無用の強権発動、ブルドーザー発進。

「我慢して! おじいちゃんはそれどころじゃないんだから。ね、あとで来よう。いまは行くよ」と、ぐいと手を引っ張って病院へ直行です。

とんがった心がそうさせる部分もあるのですが、「僕がちゃんと最善の努力をしてるんだから、つべこべ言わずに任せなさい」という自信もあるのです。それを支えているのは「僕の父が入院中で、おまえは僕の娘なんだから」という、僕中心の世界観だったのではないでしょうか。

でも「僕の父」は祐香にとってかけがえのない「おじいちゃん」ですし、彼女は彼女なりの人生を生きている中で、僕経由ではないかかわりだってあるはずです。そしてその中に僕の判断を超えたキラリと光るものがないとは限りません。たとえば「リップクリーム」の提案がそうだったのではないでしょうか。

看護・介護というのは、血のつながりがあるなしにかかわらず家族全体に等しく課せられた状況です。

一人ひとりがそれぞれの思いと、自分なりのしかたで受け止め参与する「権利」があるはずです。自分の父だから、というそれだけの理由で僕が独占し、指揮権発動すること自体、勘違いだったのではないでしょうか。

「三人寄れば文殊の知恵」といいます。みんなで相談し、互いの意見に耳を傾けるうちに、おじいちゃん個人の苦しみは、みんなの心の痛みであることがわかり、「家族のできごと」としてとらえなおし、共に支えていこうとする姿勢に幸せすら感じられる心のゆとりすらうまれてきた気がします。

(つづく)

 

 

 

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