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体験記

楽しい人生を送るために

鶴見重之(1936年生れ)

 

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筆者の鶴見氏

 

私は1985年5月末に脳梗塞を発病して8月上旬まで約2ヵ月入院しておりました。原因は永年の高血圧による動脈硬化です。

発病前の血圧は200/120mmHgあり、体重も90kgありました。タバコは一日約40本、もちろん酒も沢山飲んでおりました。以前から高血圧と肥りすぎを指摘されておりましたが、運動好きで、週末に天気さえよければ、一日中(土日の二日間とも)テニスをすることが出来るので大丈夫だろうと考えておりました。

そのうち血圧を気にして20位下げた時に、発病しました。10年近くも高血圧をほっておいたのがいけなかったのでしょう。

幸いなことに倒れることもなく、突然頭をしめつけられるような気分の悪さに襲われたのが、発病のきっかけでした。入院してからは、身体の機能がどんどん失われ、手足はもちろんのこと、言葉もしゃべれず、食べることも困難になっていきました。病状が少し落ち着いてから一番ビックリしたのは、握力計で測ったら、力をいくら入れたつもりでも表示が0より上がらなかったことです。握力は退院までにある程度まで戻りました。しかし、更に信じられないことは、退院時に先生から「朝起きたら必ず寝巻きを服に着換えること」と言われたことでした。

他にこの病気はクスリを飲み忘れないことも必要ですが、一番大切なことは歩くことだと言われました。この三つのことはずっと実行しています。

退院後はNHKのアナウンサーの教則本で発声練習をして、段々としゃべることが出来るようになりました。

体重は食事療法で退院時の75kgの体重を65kgまで落としましたが、あまりに筋力が落ちたので69kgまで戻しました。15年後の現在もその体重を保っております。

歩くことは退院してからずっと続けており、一日1万5千歩を目標にしています。いままで歩いた歩数は、2000年2月末現在で、延べ7,860万歩(距離換算55,000km)になります。

毎日続けていくためにはどうすればいいかを考えた末、地図の上でどこまで歩いたかを記録したのが、興味と励みになりました。

私のリハビリの基本的な考え方は、なんでも試してみようということで、挑戦もしないでよくならないだろうと初めから決めつけて投げたりしないことです。トライしてみてわかったことは、人間の身体は少しずつ、長い期間にでもわずかずつよくなるが、決して飛躍的にはよくならないということと、続けていないとすぐに退歩してしまうということです。

ここにテニスを再開した時のメモがあります。

86年10月 板打練習開始。

87年4月 スクール、レッスン受講開始。

87年6月 コートにおいて乱打開始。

87年9月 試合をして初めて勝たせてもらう。

これ以後も決して順調ではありませんでした。以前ほどの腕前にはとても戻れませんが、それでも周囲の皆様が暖かく、気をつかって相手をしてくださいます。その好意に甘えすぎないように気をつけながらも相手に迷惑をかけながら、それなりに楽しませていただいています。

反射神経が鈍くなっているので不安はありましたが、退院後2年ほどたってから釣りを始めました。最初は予想通りで、浮木が沈んでからすぐに竿を上げているつもりでも、反応がおそくてなかなか釣れませんでした。地道に続けていくうちに、どうにか釣れるようになってきました。

囲碁も以前は初段の免状をとり、実力もそんなものでした。これも退院後また始めましたが、なにかに挑戦ということで、新聞掲載の懸賞碁(毎週一回で10週連続の合計点数で判定)に挑戦し続けてやっと一年余りして3段の免状をとりました。

 

 

 

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