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番組(もとの名称は町組)の町会所と小学校は一体であり、まさにコミュニティスクールとしての性格が息づいていました。そして小学校には三道(筆道・算術・読書)の教員のほかに、儒学講釈講師と心学道話師が置かれ、さらに番組内の町民に対しても儒書講釈と心学道話が行なわれました。

明治三年に明治新政府は「大学規則及び中小学規則」を定めましたので、京都府もこれにしたがいましたが、翌年に京都府は独自に「小学校課業表」をつくります。しかし儒学講釈講師や心学道話師は置かれたままでした。しかし明治四年からの中学校では心学道話師は再任されませんでした。こうして心学道話師はしだいに消滅してゆきますが、明倫舎・修正舎など、講舎としての活動はつづいていました。明倫舎はさらに宝錦舎(ほうきんしゃ)を設立し、修正舎とともに、三講舎共通の心学道話の聴講券も発行されています。そして明治二十四年には心学講舎の連合会ともいうべき修斎会が結成されました。

石田梅岩先生のふるさとである、丹波亀山(明治二年から亀岡と改称)の場合はどうでしょうか。亀山藩主松平信道のころ(天明元年<一七八一>〜寛政三年<一七九一>)には、藩主は中沢道二の直門となって心学を重んじ、天明六〜七年(一七八六〜八七)ごろには、亀山の紺屋町に持養舎という心学講舎ができます。

 

 

 

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