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石田梅岩は人々に教えたとおりに生きました。多くの困難を乗り越えて、生涯ずっと道を追い続け、道を人々に説くという使命に熱心に取り組みました。講釈を始めた頃は、出席したのはたった一人で、その人物は「我一人のため講釈したまはんこと、其労はばかりあれば、今宵は休みたまへかし」と言いました。すると梅岩は、「我講釈をはじむる時、ただ見台とさし向ひとおもひしに、聴衆一人にてもあれば満足なり」と言って講釈を行いました。梅岩以前、あるいは以後の多くの宗教の師とは異なり、梅岩は自分の立場を力や金という利己的な目的に利用することはありませんでした。梅岩の生活は質素で、またすべてを寄付してしまっています。『石田先生事蹟』の中で弟子たちはこう書いています。

「没後宅に遺りし物、書三櫃。また平生人の問に答へ給ふ語の草稿、見台、机、硯、衣類、日用の器物のみ」

今日までその影響が続いている何十万人もの人々の命に触れた運動を創設したのは、この質素な生活を続けて一生涯をこの運動に捧げた男でした。

すでにお話ししましたが、梅岩は徳川時代の中頃に社会生活と文化生活の新しい可能性を開いた大勢の中の一人にすぎません。

 

 

 

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