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それで、いよいよ病気で、現代の医学で治らないとわかったときに、「それならうちへ帰って死にたいよ」というのはあたりまえの話だと思うんです。意地悪なお姑さんで、嫁さんをさんざんいじめちゃった人とか、そういうのは怖くて帰れないかもしれないけど、うちへ帰ったら逆にいじめられちゃうかもしれない、おむつも取り替えてもらえないかもしれない、おかゆもつくってもらえないかもしれないということになるけど、だから人は生きたようにしか死ねないんだそうですけどね。でも、たいていの人はうちへ帰って死にたいんです。そういうときに病院が何ていうかといえば、さっきのように、「そんなわがままなことをいうならどうぞご勝手に」か、「このあとどうなっても知りませんよ」か、そうじゃなきゃ、「もうやることがありませんからお引き取りください」かのどれかなんですね。その3番目のは、華々しく手術やなんかをしてもらう人にベッドを開けて、早く譲ってもらいたいんです。寝ているだけの人には収益があがらないから帰ってもらいたいという話なんですね、あからさまにいえば。だからひどい話ですよね。

私はそういうことはやっぱり考えてほしいと思うんです。それで私、主人が亡くなってからお医者さまに手紙をだしたんです。「袖すりあうも多少の縁」というんだから、おたくの病院で入院してて、もう終末医療の末期で、もう自分はここにいても助からないというのでうちに帰りたいといった人を病院の主治医の先生もどうかかかりつけのお医者さまとか、近所のお医者さまとか、在宅の看護婦さんとか、いわゆる医学のプロ、そういう人たちといっしょに支えてほしいと。そのときにはもう最低の医療でいいわけだから、最大の介護は家族だのボランティアなどでしますから、その最低の医療をその三者で、病院の主治医とかかりつけのお医者さまと、専門の看護婦さんとで支えてほしいと手紙を出したんですね。そしたら病院から何て言ってきたかというと、「自分の病院は特殊医療指定病院だから、そういうことをしている暇がない」と。特殊医療というのは移植の話だと思います、たぶんね。移植はやるなとか、移植は禁止してとかいうんじゃないんです、もちろんそうじゃないんですけどね、でも、その病院で移植という話は1年に1回あるかどうかじゃないですか。その病院に入っていてもう助からないなら、うちで死にたいという人をこの病院はサポートしますよという告示が出たとしたら、それに応募する人は少なくとも、たぶん1年に10人はいると思います。どっちが本質的な医療かなと、私はそのとき思って、「ああ、あの病院ならこういう答えだろうね」と、そのとき本当にそう思いましたね。

それから、さっきの検査の話が出ましたけど、検査を受けにゆくと1週間後ぐらいに結果をききに来てくださいという。お医者さまのところへ行くとレントゲンなどを見せながらいろんなことを説明なさいますね。だけどそのときにやっぱりこっちは平静な頭ではないんです。もう動転、混乱している頭なわけです。そのときにはじめて聞く医学用語をペラペラ言われても、それがどれぐらい頭に入るか、ほとんど入らないと思いますよ。そこでいい加減にかいつまんで聞いてきた話でもって、知っているお医者さまに「こう言われたんだけど、どう思う?」聞いたところで、そんなあやふやな情報で的確な答えが出せる、セコンドオピニオンを出せるお医者さまなんているはずがないんです。だから、私は、当院で治療をするなら主治医は××先生、この先生はこの手術についてこれぐらいのキャリアがあって、成功率はどのぐらいだということをちゃんと書いていただきたいと思うんです。そういうことをぜひやってほしいと思います。

まだまだ言いたいことがありますけど、そろそろ時間ですと言ってきました。

 

 

 

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