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まず、「生と死を考える」ということについてです。私たちは、今、日野原先生も説明なさったとおり、私たちの生きる時間は限られているといます。その生命の有限性に対する認識に基づいて、時間の尊さを意識して、今日、一日をもっと大切に生きることを考えましょう。死について学ぶというのは決して暗いニヒルなことではないんですね。むしろ逆に、それによって各瞬間の時間の尊さを意識してもっと精一杯生きるようになる道だと思います。ですから、私はいつも死への準備教育はそのままよりよく生きるための教育だと強調しています。

私は今、上智大学で死の哲学を教えていますが、必ず最初の時間に、死の哲学はただ死について学ぶのではなくて、むしろ生の哲学であり、いかに最後まで人間らしく生きるかということが大切なテーマなのだと話します。ですから death educationは同時にlife educationであると強調したいのです。

日本人はもともと教育を重視する国民でしょう。日本ほど教育ママの多い国はないらしいですね。上智大学は四谷駅のすぐそばで、交通の便がいいですから、毎日曜日には模擬試験を受けに子どもたちとおとうさん、おかあさんがいっぱい来ますね。それで日曜日にはだいたい上智大学は幼稚大学になります。日本人は試験のためにものすごく準備しますね。毎年上智大学の入学希望者はだいたい定員の10倍です。24000人ぐらい入学試験を受けますが、入れるのは2400人、10人に1人です。私もずっと監督をしました。毎年合格発表の日にはたくさんの教育ママが涙を流す姿を見ることになります。

ところで生涯でいちばん難かしい試験、いちばん苦しい試練は何でしょうか。それは愛する相手の死を体験することと自分自身の死に直面すること、この二つでしょう。遅かれ早かれ、誰でもみんな体験させられます。私は講演会の前にはいつも厚生省で最近の日本の統計を調べます。もちろん今日のためにもいちばん新しい日本の統計を調べました。もし書きたいなら、昨日の厚生省のいちばん新しい日本の統計。それによりますと、現在、日本人の死亡率は 100%だそうです。書きましたか? これ、いちばん新しい統計ですね。ですから、私たちはみんな必ず愛する相手の死を体験しますし、自分自身の死に直面しなければならないのです。

ですから、教育のなかでこういうテーマをタブー視して、一切教えないというのはある意味でおかしいですね。

たとえば、さっき日野原先生もおっしゃったように、私もずっと前からホスピス運動はもちろん、死の哲学もただ象牙の塔に閉じこもる学問ではなくて、日本の社会や文化のためにどういう意味をもっているかということをずっと考えて来ました。ホスピスも、もちろん一方では医療や看護のテーマですが、狭い意味の医療や看護のテーマではありませんね。社会全体、文化全体とかかわるテーマだと私は思います。

 

 

 

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