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流出有害液体物質防除編

 

I. 油汚染に対する国内体制

 

平成9年1月2日、日本海で発生したタンカーナホトカ号の船体折損事故により、海洋へ流出した油は、日本海側の1府8県の沿岸を汚染し、日本国内で過去に発生した水島事故、ジュリアナ号事故を超える広範囲にわたる海洋汚染をもたらす結果となった。1989年(平成元年)3月米国アラスカ州プリンス・ウイリアム海峡で発生したエクソン・バルディズ号事故以後大規模油汚染事故への対応策が見直され、新たな国際的な枠組みの構築が進められるなかで油タンカーの事故は後を絶たず、海外においては幾多の大規模油流出事故が発生している。

このような状況のなかで、日本周辺海域においても例外ではなく、石油資源を海外に依存しているわが国では、大型タンカー等危険物積載船による大規模油汚染事故の発生の危険性が懸念されていたが、ナホトカ号をはじめダイヤモンド・グレース号事故が発生し、現実の問題となった。

海洋の汚染は、ナホトカ号事故を例に挙げるまでもなく局地的汚染にとどまらず、他の海域に及ぶ可能性が高く、また他国の船舶によって自国の周辺海域が汚染される等その防止対策は各国が国際的視野に立って協調して取り組まなければ十分な効果は期待できないため、早くから国際的な関心が払われ、1954年(昭29年)には、船舶から排出される重質油による海洋汚染の防止を目的として「1954年の油による海水の汚濁の防止のための国際条約」が採択された。

1960年代のわが国は、石油化学工業を中心とした発展をするとともに一方で膨大な廃棄物を生みだし、海洋の汚染が著しく進行することとなった。

このような状況のなかで、1961年(昭36年)災害対策防止法、1966年(昭41年)「公害対策防止法」が制定され、その個別法として1967年(昭42年)「船舶の油による海水の汚濁の防止に関する法律」が公布された。同法は、1954年条約の批准にあわせ、国内体制整備として位置づけられる。さらに、海洋汚染防止対策の国際的動向にあわせ、1970年一連の公害関連法案の一つとして「海洋汚染防止法」が制定され、はじめて海洋汚染防止に関する総合的な体系化が図られることとなった。

海洋汚染防止の基本体系ができた1974年12月水島港において石油タンクの損壊による大量の重油が瀬戸内海に流出する事故が発生した。この事故を契機に、石油コンビナートにおける災害に対処する総合的な防災体制を確立するため、「石油コンビナート等災害防止法」が制定され、付帯決議のなかで海上における防災に関する立法措置を講じ、海陸一体の総合的な防災体制を確立するため、油による海洋汚染から生じる被害を海上災害と位置づけ「海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律」として1976年(昭51年)6月「海洋汚染防止法」が改正された。

海上災害防止センターは、改正法においてその業務が規定され、(財)海上防災センターの業務を引き継ぐとともに海上防災措置の業務を新たに加えて同年10月運輸大臣の認可を受けて設立された。

 

 

 

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