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変貌する国際海洋秩序:国連海洋法条約の影響

CHANGING THE INTERNATIONAL MARITIME ORDER : THE IMPACT OF UNCLOS III

 

Prof.R. フレッドハイム(Friedheim)

 

出典:East and West Order Series 43 : Conflict and Order at Sea

Edited by Seo-Hang and Jin-Hyun Paik, Institute of East and West studies Yonsei University

 

翻訳:若林保男

 

I 背景

 

20世紀最後の四半世紀において、17世紀以来の国際海洋秩序は、大きく変貌した。1982年の海洋法に関する国際連合条約(以下、国連海洋法条約という)は、所謂海洋の自由使用の権利を弱め、海洋管理について部分的に刷新したものである1。本質的に国連海洋法条約は、世界の海洋、特に沿岸海域において、海洋及びその資源を自由に利用することを厳しく制限した。同時に沿岸国の海洋の「囲い込み(Enclosure for Coastal Waters)」(訳注:海洋資源保護のための経済水域の概念)を容認し、深海底の鉱物資源を利用する権利に制約を課すことを狙ったものである。

 

国連海洋法条約は、14年から15年の協議期間を要し、発効までに更に12年を必要とした。数千人に及ぶ外交官、非政府機構のメンバー及び国連職員が、いわば海洋の「憲法」を発効させるために非常な努力を積み重ねてきた。条約案は、1982年12月10日に署名のために公開され、1994年11月16日に発効した。これは、海における人類全ての活動を管理する意図を持った法的枠組みであると言える。

 

国連海洋法条約は、地球上の70パーセントにも及ぶ海洋、その上空、及び海底という三次元の空間を使用する国家及びその他の利用者の権利、並びに義務を規定することを目指している。海洋における人類の活動の全てを網羅してはいないが、国連海洋法条約の320個条の規定及び9個の議定書は、確かに広範囲な分野に亘って包括的であった。その規定の概要を知ることは、海洋秩序の現状を理解する上で、必須のことであろう。

 

国連海洋法条約は或る種記念碑的な側面がある。関係者による膨大な文書作成作業は、条文起案の推進力となった。つまり、南北間における思考過程や価値観の相違、東西間における敵対関係と、地理的、政治力、慣習的、経済的要求等の相違を乗り越えて、殆ど全ての国家から同意が得られる条文を作成するに到ったのである。第三次海洋法会議の代表団の表現を敢えて使用すれば、本条約は「良い」枠組みである、と常々私も公言しているが、それは、主要国全ての代表団が、本条約は彼らが望んだ「次善のもの」であると自覚しているという認識にある。というのも、仮に一部の者が最良の成果を得るならば、多分、その他の者はきっと最小の利益しか得られないこととなる。それは、結果的に何の合意も得られない事になるのである。従って、第三次海洋法会議の代表団が、とにかく、海洋を活用する殆ど全ての者にとって、許容し得る条約を作成したことは、多大な成果であるといえる。2しかし、この条約は、「高くついた」し、多くの論者が指摘しているように、喫緊に解決が必要とされる環境問題については、まだ貧弱なモデルなのである。だが、世界規模の海洋の義務的管理が必要であるという主張に照らして、国連海洋法条約は「良い」枠組みであったか3

 

 

 

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