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その意味で、いわゆる学者、研究者が研究する前に進んでしまう面があるものですから、いろいろな海運の研究機関に携わっている組織はありますが、どれもなかなかセンター・オブ・エクセレンスと言う訳には行かないという感じがしています。

 

2:海運政策の変遷

 

2.1:海軍の予備船隊(Sea Power)としての育成保護(戦前)

2次的に通商政策のツール、国威発揚

 

ちょっと遡ってそのへんのところを考えてみたいのですが、海運政策というのは、もともと日本も外国、もちろんヨーロッパもそうだと思いますが、やはり海軍の予備船隊としての色彩が非常に濃く、いざというときには船を徴用して海軍が使う。したがって優秀な船を作っておけば、それを改造することはわりと簡単ですから、第二次大戦中も有名な客船がみんな航空母艦に改造されました。新田丸、春日丸、橿原丸と言ったような豪華客船が「沖鷹」とか「大鷹」「隼龍」と言うような航空母艦に改造されました。そのために、軍艦に簡単に転用できるようなスペックの船を作らせるために、ある種の造船補助をやって、その代わりこういう船をつくれ、ということをやっていました。

それと航路、船を動かす上で費用がかかりますから、ランニングコストを賄うという意味での補助もしていました。これは名前は「郵便航路補助」といいました。その頃は飛行機はありませんから、郵便物は全部船で運んでいました。ちゃんとしたスケジュールで船が動かないと郵便物がちゃんとした時間に着かない。船会社に勝手に任せておくと、儲かる荷物があるときは一所懸命進んでスケジュールも遅れてしまうということになるので、郵便航路補助というのを出すことによって、そういうスケジュールをメインテインさせるということもやっていたと思います。

もう一つは、船がないと貿易上、損だということがありました。いちばん端的な例は、明治の初めから中頃にかけては、日本にはろくな海運がなかったんですが、その頃からすでに綿紡績が始まりかけていて、インドなどから綿花を輸入していました。これはイギリス船が支配する東洋極東航路、ボンベイ・カルカッタ航路で綿花を運んでいましたが、これがやたら高い運賃を取る。そうすると、日本の綿紡績業は圧倒的に国際競争上不利な立場に立ってしまう。そういうことがあって、イギリス船が支配するボンベイ・カルカッタ航路に日本郵船が殴りこみをかけたんです。そのときは、大阪の綿業紡績会、今でも立派なビルがありますが、そこと密かに協定を結びまして、一手積みの契約と同時に、今までイギリスが提示していた運賃よりもはるかに割引いた運賃で殴りこみをかけるというようなこともやって、有利な貿易の基盤を作る。

 

 

 

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