日本財団 図書館


と大きな声で勇船長が説明してくれた。山口が言った。

「船長の言うとおりです。狭い水路の奥に広がった平潟湾の自然の地形を利用して、昔は湾の一番奥に塩田があったのですよ。良い塩が採れたそうです。

爺さんの家は漁の合間を見て、その塩田の手伝いをしていたそうです。もし八景界隈に油が押し寄せたとしたら、真っ先に被害を受けるのは塩田のはずですよね。真っ黒な塩なんて洒落にならないですからね……。ははは。

 

028-1.gif

野島頂上からの平潟湾の景観

 

塩田に何らかの被害があったとしたら、おそらく爺さんは覚えているはずですよ。絶対に……」

「光吉の言うとうりじゃ」

池内が頷きながら言った。

「なるほど、それもそうですねぇ」

私も相槌を打った。そしてもはやこれ以上の事実関係は確認できないことを悟った。暫しの沈黙があった。池内が静かに語り出した。

「毎日こつこつと漁を続けておったら、知らぬ間にこの年になっておったよ。いろいろなことがあった。じゃが一日たりとも『望み』を捨てた日はなかったよ。毎朝、『望み』を携えて漁に出ておった。そして一日漁をして、また違った明日への『望み』を携えて港に帰っておったのじゃ。その繰り返しじゃ。

今日、一貫目の鯛を獲ったら、明日は一貫目半を獲ってやろう、今日、ワラサを三十本獲ったら、明日は四十本獲ってやろうとね。いやいや、決して『欲』などというものではない。このわしにとっては自分自身を励ますための『望み』じゃ。

『望み』を失った仲間は、一人、二人とこの八景の海を去っていった。年老いて病に倒れる仲間もおった。じゃが『望み』に支えられ、わしはこの年まで漁を続けてこられた。この『望み』が尽きぬ限り、これからもわしは一本釣りを続けていくつもりじゃよ。

わしの親爺は明治から大正にかけての漁師じゃった。その親爺は江戸の世からの漁師じゃった。わしはこの二人から、いろいろなことを徹底的に教え込まれたよ。『新三、無理だけはすんな、漁をしてる最中も雲の塩梅を気にすんじゃ……。新三、船が風の上手にあったら、下手の船を避けるんじゃ、本船見かけたら早めによけてやんなよ』ってね。

親爺の言うとおりじゃ。決して無理をしてはいかん。『望み』が『欲』に変わり、そして無理を生むのじゃ。無理を承知で漁に出る。それで命を失った仲間をわしは何人も見てきたよ……。悲しい思い出じゃ。

勇、お前の親爺は思うところあって、途中で遊漁に鞍替えしてしまった。惚れ惚れするような良い腕前の漁師じゃったよ。わしは正直言って武男だけには負けたくはなかったよ。とうとう一度も勝てずじまいじゃったがのぅ。今考えても残念なことじゃ……。

年寄りが少々しゃべり過ぎたようじゃのぅ。おや……、海も凪いできたようじゃし……、さて、猿島辺りで晩のおかずでも獲ってくるとするか。よっこらしょっと」

池内はそう言って立ち上がった。池内の小さな漁船は野島橋の袂から沖に向かい、軽快なエンジン音とともに走り去って行った。私達はその後ろ姿をいつまでも見送った。船尾には『望漁丸』と船名が記されているのを私ははっきりと見た。

カタスロフィの謎を確かめる術は、こうして見事に断たれた。しかし、私は諦めた訳ではない。

「例えこの先何年かかろうと、新三さんと同様、希望を捨てることなく、その謎を解き明かしてゆこう」

強く心にそう決めたのであった。

(完)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION