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ちょっと時間の方がなくなってきましたので、パキスタンの独立から今日までの歴史的背景の説明は飛ばさせてください。次に、民主化と経済成長という視点からパキスタンを見てみたいと思います。88年以降のパキスタンにおける民主化のプロセスというのは、開発途上国における民主化がいかに困難だったかということを物語っているかと思います。ハーバード大学のロバート・バロー教授が、民主主義の経済成長に与える弊害の一つとして、特別な利益団体が強い政治的力を持つことによる経済に与えるネガティブな影響というものを指摘しております。これらの団体は、政府の政策決定に圧力をかけ、自分たちの利益になるように政策を変えていくわけです。こういった行動をレント・シーキング・アクティビティと呼んでいますが、パキスタンの民主制下では、このような例が顕著であったと言えます。

ナワズというのは、ビジネス界の出身です。しかし彼の政治舞台への登場というのは、ジア・ウル・ハック政権の時代にパンジャブの大蔵大臣として起用されたことから始まっています。ですからナワズが首相に就任した時点において、まずジア・ウル・ハック時代からの軍との関係、それから、ナワズのバック・グラウンドのビジネス界、また政治家というのは、基本的に農業をバック・グラウンドとした大地主、つまり在地権力者が多いわけで、この軍、ビジネス界、在地権力の三者とうまくやっていかなくては、経済のかじ取りができないという極めて不安定な均衡の上に成り立っていたと言えるかと思います。不安定な均衡の上に成り立っていたがゆえに、一番最初にお話ししましたように、強権的な政治へとナワズを向かわせた一因ではと考えられます。

資料7は、パキスタン独立から今日に至るまでの政治体制と経済成長率を表にしたものですが、独立から10年間、議会民主主義の時代の成長率は2.9%です。そのあと軍事政権になるわけですが、その時代は5.3%。その次がベナジール・ブットの父、ズルフィカール・ブットによるイスラム社会主義といわれる時代ですが、この時代が5.4%。次のジア・ウル・ハックの軍政時代が6.7%。88年以降の文民政治時代が4.1%となっています。

こうして見ると独裁的な政治体制のときの方が経済成長がよかったという相関がありそうに見えます。しかし、これはいろいろ賛否両論がありまして、たまたま独裁的な政治体制をしているとき、外部環境は非常によかったこともありますので、この表からは独裁的な政治体制と経済成長の関係というのは、直接的に結びつけるのは難しいと思います。

 

 

 

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