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「女性は結婚すると、妻であり、母であっても、自分を主張する機会がないでしょ。もちろん、それぞれの役割はあってもいい。でも、“自分”でもありたいと切に思いましてね。それで、自分の得意とする英語を磨いて何かをしたいと考え、語学の専門学校で英語の通訳と翻訳の勉強をはじめました」

こうして齢三〇歳を過ぎて自立に目覚め、勉強を重ねていた長尾さんのもとに、ある日、法廷通訳をしないかという話がポンと飛び込んできた。

「何でも、通訳を引き受けていた友人が急用ができたため、裁判所に断ったところ、“こんな間際になって断られても困るので代打を立ててほしい”と言われたそうなんです。それで、“あなた、どう ? ”と。私には裁判の傍聴経験すらありませんでしたが、書記官に尋ねたところ、“被告人本人への質問だけを通訳してくれればいい。その他は不要。簡単な質問ですから、日常会話ができればいい”と言うもんですから、それならできるかなと、軽い気持ちで引き受けたんです」

長尾さんが担当した裁判は、関税法違反の事件。ある航空会社の乗務員であるパーサー(事務長)が、制服のズボンの中に何億円という宝石を隠して入国しようとしたというものだったが、初めての裁判では、法廷で飛び交う法律用語に戸惑うばかり。

「『員面調書』(警察署で取った調書)も『検面調書』(検察官が取った調書)もまったくの初耳で、通訳どころか、日本語でもついていけない状態で、私自身、裁判の展開がまったくわからずにいました。そんなあり様ですから、被告人は不安を通り越して恐怖だったことでしょう。そりゃあそうですよね。法律もわからない外国で裁判にかけられていて、しかも、自分がどのように裁かれているのかもまったく理解できないんですから」

こんな通訳ではまったく意味をなさない ! そんな苦々しい思いを抱いて、法廷を後にした長尾さんだった。

 

通訳同士の交流や技術の向上をめざして協会を設立

 

この裁判をきっかけにして、長尾さんには法廷通訳の依頼が来るようになるが、仕事を得た喜びよりも、「このままの通訳制度ではダメだ」という憤りのほうが先に立ったという。

 

 

 

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