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R君は帽子の中の歯を見せ乍ら、たどたどしい表現力で事情説明をしてくれた。家内はKちゃんの顔を洗い、口中を濯ぎ清めてくれた。その間思案を重ねた、指でも切り落した時、すぐに繋いで括っておけば、繋がると言う話を聞いた事がある。この歯だって今抜け落ちたばかりの新鮮な歯なんだから繋がる筈だと思って、掛かりつけの歯医者に電話を入れた。応対に出た受け付け嬢いわく、「そんな夢みたいな事できますか」と言う。何でもいいから先生に言っといてくれとだけ言って、Kちゃんと二本の歯を連れて歯医者についた。「先生に伝えてくれましたか」と問えば否と言う。「早くしないとこの歯だめになってしまう」と言えば、「順番がございますから」と言う。しびれを切らして治療室に入って先生に直談判をしたら、しばらく頭を傾げておられたが「取り敢えずやってみましょう」と言うことになって、消毒を済ませた後、二本の歯は元の位置に収まった。うまく繋がってくれればよいがと一抹の不安を抱きつつも治療に通ったあの日から9年の歳月が流れた今、Kちゃんの前歯は真珠の輝やきにも似てその笑顔を引き立てている。

もしも、あの時R君が、歯を拾って帰ってこなかったとしたら、私は歯を探しに出掛けて行っただろうか?否である。

 

 

 

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