わずかなプレゼントですが、何処か好きな所に旅行して下さい。
これを読んでうれしさに涙が止まりませんでした。私の大切な宝物として、手紙、封筒、今も大事に保管しております。
その後も母の日、父の日と言っては何かと心にかけてくれる彼です。
それから2年、会社の生活になれ、海外駐在員としての基礎の勉強も終わりに近い頃、世界一周、3ケ月の船旅を終えて、東京晴海埠頭に帰った私達を息子は出迎え、待っていてくれました。
「僕、会社をやめることに決めた。次の仕事はもう決まっている。」と切り出しました。
青天の霹靂とはこんな事を言うのかもしれません。どうして、あんなに期待されて入った会社を。………息子は静かに「ベトナムに進出が決まっている会社の社長から、直接、再三入社を頼まれたこと。将来、2、3百人程度の従業員の会社を作り、その責任者になってもらいたいということ。そして僕は「牛のしっぽより鶏のトサカになりたい。」と言うのでした。