日本財団 図書館


元来、コミュニティというものは、今あってこれがコミュニティだというものではない。「コミュニティづくり」といわれるように、コミュニティとはこれから作っていくものであり、今はないものということが、実態である。

英語圏では、14世紀以来「コミュニティ」という言葉があるといわれている。

コミュニティという語源は、ラテン語の「コムニス」に由来し、みんなで一緒に義務を負う、みんなでつらい仕事を支える、担う、というのが本来の意味である。

18世紀までは、コミュニティは「共同社会」、「地域社会」ととらえられてきたが、19世紀に入って、コミュニティは「新しいものを作ろうとする実験的な試み」を指す意味をもつようになった。

ヨーロッパ共同体(E.C.)の「C」は、コミュニティを表すが、これは、様々な国が集まって一緒にやりましょう、という意思表明としてコミュニティという言葉を使っている。

時の流れ、社会の変化に伴い、コミュニティの定義も変化してきた。

コミュニティは、複合的で多元的で、実態について言う場合もあれば価値的に望ましいものを指す場合もある。

20世紀は、競争社会が強調され、科学技術が世の中の問題をすべて解決してくれるというふうな期待で、進んできた時代であった。競争社会は活力を生み出す反面、弱肉強食を生み出すことになる。

米国では、最近一段と所得格差が進むと同時に、犯罪発生件数も1991年では、30年前の4倍の1500万件にも達している。

これが競争社会の自由・個性を強調した米国社会の行き着く先である。

そこで、クリントン政権下では、コミュニティを政策の大きな柱の1つにあげた「変革への提言」を行った。

コミュニティには、市民自身が組織をもって対応できるそういう領域がある。

そこでは、市民セクター、第三セクターに依存するような政策を展開し、コミュニティがないと米国社会は存立できないという危機感を持って、1993年に、地方交付税の1/3を前倒しで、インフラ整備と共にコミュニティ開発にさかんに取り組んでいる。

一方、日本においても、右肩上がりの経済成長を続けていく中で、様々な問題も生じ、成長すること自体に問題があるという意識も出てきた。

そこで、社会全体の体制を組み直すためにリストラが行われたが、これは、内部不経済の外部化であり、個々の問題解決にはならない。

これからのコミュニティは、社会全体をどのようにコミュニティ化していくのか、小さなコミュニティから、むしろ、社会全体に打って出て、社会全体をコミュニティにしていくというふうに、コミュニティの位置づけが大きく変わってきている。

これがコミュニティの30年間の展開ではないかと思う。

 

2. 地域コミュニティ

 

福祉の問題を1つ取り上げても、最後は地域でどううけとめるかということになる。

京都の上京区内にある住民福祉協議会の活動を紹介すると、その地域においては、支援、介護が必要な人達1人ひとりに対して、ボランティア団体から行政機関まで含めて、その支援に必要な人達が集まってきて、「福祉サービス調整チーム」が編成されるという体制が、この地域にはできている。

このように、地域コミュニティは、現在では、人の生死に関わる役割をもつような、そういうことができるようなところまできている感じがする。

 

3. コミュニティづくりの担い手

 

従来地域で起こる様々な問題を解決するための専門機関が行政であるといわれてきた。現在は、行政に加えて、市民専門家集団として、NPOがあらわれ、町内会、自治会といった住民組織とともに、この3つが地域問題の担い手となっており、このNPOの力をいかに強めていくか、そして、活動全体をどのように強めていくのか、市民と行政のパートナーシップが大変重要になってきた。

豊かな社会を作るためには、その根底となるコミュニティをぬきにしては、何も進まない。

コミュニティは、個々の具体的な場面での取り組みと同時に、社会全体の仕組みを支える根底のところをみんなで注目し、認め合う状況を作っていくのがコミュニティづくりのめざすところではないだろうか。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION