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駅前の放置自転車への対処も同じである。駅前の自治会だけが不法駐輪の整理を行っても、周辺からつぎつぎに自転車が集まってくればきりがないわけで、自転車圏内にある周辺の自治会と提携してその利用をコントロールする必要がある。他の自治会と共同して魅力のある歩道を整備し駅前まで徒歩で来るようにうながすとか、居住地において利用者に駐輪のマナーを周知させてもらう必要がある。今日ではこうした広域の組織で対処を必要とする問題が増えてきた。

また少数者の人々の問題にとりくむ際には、広域での対処が有効である。たとえば在宅老人への給食サービスの活動を行う地域の場合、サービスを必要とする老人は少数で広い地域に散在しており、労力を提供するボランティアも少数で分散して居住しているのがふつうである。こうした時には自治会・町内会のような狭い組織範囲に、需要者と供給者が一緒に住んでいるとは限らないわけで、学区ぐらいの広い組織で両者を結合するほうが実現性がある。

住民の全員に共通する問題であれば自治会・町内会で対処できるが、クライアントもサポーターも少数で散居という状況では学区や住区の協議会のような組織がこれを直接担当したり、支援したりするのが妥当だろう。

またより大きい活動力を動員できる効果がある。何かで困っている少数者に対して、地域の多数者のもっている資源を動員してより大規模な支援を行うことが可能となる。また複数の自治会が協力して規模の大きいコミュニティ施設の管理運営を行うなど、スケールメリットを活用するのである。

さらに広域の組織では、新旧の住民組織の提携が可能となる。学区を単位とした住民協議会には、自治会・老人会・婦人会のような伝統的な組織の代表とならんで各種のサークル・クラブのような新しい組織の代表も参加していることがよくみられる。福祉をはじめ、趣味・教養・体育などの活動を行うサークルは広域の単位で組織されていることが多いから、単位自治会ではなくて学区単位ぐらいの組織ならば加入しやすい。

こうして地域の新旧のあらゆる組織が提携して活動を行ってきた。

 

都市の変身のなかで

 

戦後の50年間のなかで、わが国のコミュニティは大きく成長した。戦後解体された自治会・町内会は、1960年代にほぼ全国的に再建された。70年代には余暇利用型や社会運動型の有志組織がつぎつぎと結成された。

またこの時代には学区・住区協議会のような広域型地縁組織がつくられていった。

さらに80年代から90年代にかけては、各種のコミュニティ施設が全国的に整備されていった。

わが国のコミュニティは、組織、施設、活動の面でかなりの「成長」を達成したといえる。

このコミュニティの成長は、地域関係以外の団体も含んだ住民団体全体の成長の一環として、もっといえば都市全体の成長の一環としてなされたことに留意する必要がある。

戦後の都市の変化を知るため、人口15万人のある標準的な都市を選定してそこの住民団体の悉皆調査を最近行っている。その市は岐阜県の大垣であるが、いろいろな資料を使って同市にいま存在する団体だけでなく過去の年度にもさかのぼって、その年度に存在した団体の名前を洗いざらい調べた。

 

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表からわかるように1960年度と95年度の団体数を比べると、どの分野でも大変に増加していることがわかる。1・2の政治・行政領域の団体は45から102へ、3-9の生活領域のものは360から809へ、10-12の産業領域のものは74から123へと増加している。なかでもコミュニティに関係の深い生活領域の団体では、その増加のほとんどが60年代と70年代になされたが、80年代以後に増えたものもある。

 

 

 

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