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その確信が「思い込み」であった場合、誠に悲惨なことになりかねない。

特に陥りやすいパターンに、「…であってほしい」という強い願望が、「…であるべきだ」となり、「…である」という確信や思い込みに至るというケースがある。例えば、「金融機関は破綻しないようにしてほしい」という強い願望が、「金融機関の破綻はあってはならない」となり、「金融機関の破綻はない」という確信や思い込みにまで至っていたのではないだろうか。また、「原子力の平和利用は安全であってほしい」という強い願望から、「原子力の平和利用は安全でなければならない」というように思うのはよいが、「原子力の平和利用は必ず安全である」という確信や思い込みをしてきたのではないだろうか。最近の金融機関の破綻や原子力の平和利用における臨界事故はこうした人間の陥りやすい確信や思い込みに反省を迫るものといっていいのではないかと思う。

こうした心配が他にもないのかどうか、この機会に考え直してみる必要があるのではないかと私は思う。例えば、「日本が無事でかつ安全であってほしい」ということは国民誰れもが強く願うことはいうまでもないが、「日本は無事でかつ安全であるべきだ」となり、「日本は無事で安全である」という思い込みに至っていたとしたら、やはり問題なのではないだろうか。個人の身近なことでも、すっかり確信してしまっていることを今一度考え直してみると、実はもともと強い願望であったものがいつの間にか思い込みをしてしまっているというようなことがあるのではないかと思う。

「コンピューター西暦2000年問題」では、「何事も起らないでもらいたい」という人々の強い願望が「何事も起こしてはならない」という強固な意思となった。しかし、決して「何事も起こる筈はない」というようなことにならず、「何事かが起こるかも知れない」という気持ちを人々がずっと持ち続けて万全の対策が重ね重ね講じられたからこそ、とりたてて問題になるようなことは起こらなかったのだと、私は思いたいのである。

 

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冬の天の橋立

 

 

 

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