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■呉服神社、伊居太神社

呉服神社、伊居太神社は呉から機織りを伝えたという2人の織り姫を祀る神社であり、それぞれ別名「呉織(くれは)社」、「穴織(あやは)社」といい梅室塚、姫室塚がある。またその立地から、五月山山ろくの伊居太神社は上の宮、室町の呉服神社は下の宮と呼ばれている。7月17日または18日には神社の夏祭りが行われ、御輿が練り歩く。上の宮では以前はだんじりが出ていたが、担ぎ手の不足などから蔵に入ったままの状態が長く続いていたが、平成11年秋には久々に披露され宮入が行われた。

伊居太神社は池田市に現存する最古の神社で、本殿は信長によって焼かれ、秀頼によって1604年に再建された格調高い寄棟造りである。祭神は「応神天皇」「仁徳天皇」「穴織大明神」である。参道や拝殿はクスやケヤキの大木で覆われ、静かで荘厳な雰囲気を醸し出している。

一方の呉服神社は、現在はRC造の新しい本殿に建て替えられており、朱を基調とした鮮やかな色彩が特徴的である。左「呉服大明神」右「仁徳天皇」の相殿である。門を入って右側に「戎社」があり、初詣は商売人が多く参拝している。室町住宅の中に位置し、隣接して室町幼稚園などがある。

 

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呉服神社

 

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伊居太神社

 

■池田城跡

池田氏代々の居城で、室町から戦国時代にかけて存在した城郭である。西の防衛拠点としての役割を担い、その範囲は南北約550m東西約330mであった。主閣は、北側は五月山との間を杉ヶ谷川を利用して分断し、西側は急斜面を利用、東及び南側は幅26m深さ6mの空堀をつくり、周囲と遮断していた。空堀は平素は道としても利用されていたようである。現在は空堀や石組みの遺構の一部が残っている。全域の規模は、大阪府下に多く存在した中世城の中でも有数である。建物としては、東西10.8m南北11.8mの規模のものが最も大きく、主殿であると考えられる。また土師器、天目茶碗、備前焼のかめや硯、輸入磁器といった遺物などから日常生活も可能な城であったことがうかがえる。池田勝正の時代の永禄11年(1568年)に織田信長に降伏し、以後服属した。現在この城跡一帯は、芝生広場を中心に茶室や浮御堂、せせらぎなどを設けた広さ約1.6haの日本庭園型の公園として整備され、シンボリックな櫓風展望休憩舎も新築された。歴史を感じることができる憩いの場となることをめざしている。

 

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池田城推定復元図

(「戦国の動乱と池田氏」歴史民俗資料館)

 

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五月山緑地内の池田城跡に整備された休憩舎

 

 

 

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