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高齢者・障害者対策費については明確ではないが、ADAがある限り、FTA予算から出されたかどうかとは関係なく、公共交通に関連する何らかの整備を行う場合は、あくまでもADA対応でいくことを求めるものである。

 

(3) アメリカの交通のアクセシブル化に関する歴史的経緯

 

米国における政策的動きは1976年から始まったといえる。この時以来、高齢者・障害者への対応の必要性が強調された。すなわち、脱施設化、高齢者・障害者の雇用の確保を含めた地域社会への統合を目指すようになった。この結果送迎がクローズアップされるようになってきた。表2-2-1には一連の経過をまとめた。また交通に関連する法律から見たアクセシビリティ施策の経緯を図2-2-2に示した。

その動きの前段として、1975年に「障害をもつ子供たちの教育法」ができた。1973年には「リハビリテーション法」が通過し、1977年にはカーター大統領が署名し施行された。リハビリテーション法の中のセクション504は、「キーステーション」の概念やアクセシブルなバス車両についての言及があり、ADAの技術指針の元になっている。

法律制定の理念は、連邦から補助を受けるような組織は、障害者に対する差別をしてはならないというものであった。しかしながら、基本的な市民権としての、移動の権利を擁護するものではなく、その後、アクセシビリティ対モビリティの議論を巻き起こす事になった。

 

表2-2-1 アメリカにおけるアクセシブルな交通についての主な歴史的重要事項

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また、障害と差別について法律が明確な定義を示したのはこのセクション504の時点である。しかし、障害者に対する差別の禁止を保障していくには実際に多くの議論があり、mobility対accessの論争となった。この差別をしてはいけないという規定により、輸送業者にすれば、障害者がA地点からB地点へ単に移動できればいいと考えた(mobility)一方で、障害者はアクセスが容易で移動が円滑に行えることを考えた(access)ため、その認識の差が問題になった。

 

 

 

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