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その後のタイの経済情勢というのは、もう皆様ご承知のとおりでございます。最後、1997年が3年目に当たりましたが、その中で1997年7月2日という日に、いわゆる、一言で言えば、大暴落をいたしました。それまでのドルとのペッグ制から変動相場制へ為替が移行し、それまで1ドル25バーツぐらいでずっと固定で推移していたものが、1998年1月には、58バーツぐらいまで落ち込みまして、かなり経済的な混乱がございました。

ご承知の方も多いと思いますが、それまでタイのノンバンクというのは58行ございましたが、この7月2日から1月までの間に、2行を除いてすべて清算をされるという状況の中で、特に金融の部分については、今の日本もかなり厳しい状況にございますけれども、さらにドラスチックな変動が起こったのも、最後の年でございまして、その苦痛の中から、まだ先がなかなか見えない中でやっているという状況だと思います。

そこに至るまでの経緯というのは─これはご紹介でございますが、私のきょうのお話は非常に一方的な見方というか、交通インフラの整備だけでございますが、『タイ経済入門』という本が出ておりまして、これは、私どもの同僚で、当時日本大使館に勤めていた、経済企画庁から出向して来ていた書記官が書いたものでございます。なかなか本屋さんに行っても、タイ経済というと、それまでの奇跡の成長しか書いていないような本が多い中で、ちょうど7月2日をタイで迎えてしまった、経済企画庁の経済エコノミストが書いた本でございます。もしご関心があれば、お薦めしたいと思います。

この中にもたくさん触れられておりますが、急ぎ過ぎた失敗から、今再挑戦している、これがタイの現状のようでございます。その中で、私が3年間坦務いたしましたのは、主にこのタイの交通インフラの整備でございます。この地下鉄と空港については、実は、これは私も担当いたしましたが、今まで運輸省から7人の人間がこのタイの日本大使館に行っておりまして、私は7番目でございますが、初代が行ったときもこの仕事をしていたという。1960年代に、既にこの2つのプロジェクトは一度閣議決定が行われて、進められるべく準備されていたプロジェクトでございます。

例えば、バンコクに行かれた方はお気づきかもしれませんが、タイの目抜き通り、ラマ4世通りというのがございます。そちらに立派なフライオーバーの橋がかかっておりまして、一つはベルギー王国からの経済協力、もう一つが日本からの経済協力でございますが、日本からの経済協力のフライオーバーの橋というのは、左右の行き来の2本の橋になっておりまして、真ん中に大きなすき間がございます。これは、国会でも非常に有名な、ある意味では、経済協力の一つの失敗例として挙げられることが多いのですが、私どもは少なくとも失敗例ではないと思うんです。なぜこのすき間があるかというと、実は、当時、そこにスカイトレインと称するモノレールのようなものをつくろうということで、もう既に閣議決定されて、その計画があったために、日本が経済協力をしてフライオーバーをつくったときに、後からモノレールが入ってきてもいいようにということで、そういう空間をあけておるということでございます。結局、私が3年間で経験いたしました、この地下鉄計画の中では、このフライオーバーの真下に、スカイトレインではなくて地下鉄が通ることになりまして、現在、既に工事が進められておると聞いております。というわけで、非常に古いプロジェクトでございます。

第2バンコク国際空港につきましても、この資料の計画の概要で、バンコクの東30キロのサムット・プラカーン県ノングハオというところに、この空港を建設するということでございます。このノングハオというところは、非常な湿地帯でございまして、こちらのほうに、私が1995年に行ったときには、2,400所帯といいますから、1万人以上の人がこの3,200ヘクタールの広大な土地の中に生活をし、また、仕事をしていました。ただ、この人たちというのはこその親御さんは1960年代に一度、「ここを空港にするから出ていってくれ」ということで、政府から移転の補償金を受け取った人たちのお子さんたちであります。というわけで、この30年間、一度補償金を払っておきながら、政府がこの計画を進められずにいたということです。私がバンコクに行きましたときに、そのまま2,400所帯の人たちが、そこにまだ住んでいるというのも驚きでございましたが、もっと驚いたのは、それから、計画が定まったのが1995年の秋口でございますが、1月から交渉に入りまして、たった半年ぐらいで90%の人がもう移転してしまったというのも驚きでございまして、我が国の空港整備についても、ちょっと考えさせられるところが多いのであります。今現状としては、第2バンコク空港、このノングハオについても、つち音が高くというか、埋め立て工事がどんどん進められているという現状になっております。

この1960年代からあったプロジェクトがずっととまったままになっていた理由というのは、一つは、地下鉄につきましては、技術開発というか、技術的な困難と関係がございます。ご承知の方も多いと思いますが、バンコクは、日本で言う、メナム川の下流にございまして、非常な洪積層で、軟弱地盤地帯でございます。そこで、1960年代、この鉄道は、高架鉄道として計画を一度されました。スカイトレインという名前のプロジェクトとして計画をされたわけでございますが、その後、いろんな、資金的な不足であるとか、もしくは、技術力が追いつかないとかいう中で、たらたらとしている間に、さあ、今度は高架鉄道でやろうといったときには、環境問題という大きな問題がこの鉄道プロジェクトについて立ちふさがりました。

 

 

 

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