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開発途上国の運輸分野国際協力に関するセミナー

第3回(平成10年10月29日)

 

第一部 「バンコクにおける交通インフラの整備について」 

 

【男竹理事】 ただいまより、第3回開発途上国の運輸分野国際協力に関するセミナーを始めさせていただきます。

本日は、前にタイの日本大使館におられました上原さん、それから、JICAの社会開発調査部の貝原さん、お2人のご講演を予定しております。それぞれ各1時間ということで、途中休憩をはさんで5時ちょっと過ぎまでセミナー、そのあと懇親会を予定しておりますので、お時間のある方はぜひそちらまでおつき合いいただければと思います。

それでは、上原さん、お願いいたします。

【上原講師】 ご紹介あずかりました、運輸省航空局の上原でございます。中には何人か、タイでご迷惑をおかけした方も来ていただきまして、どうもありがとうございます。本日は、JTCAのほうからお話がございまして、私どもが大使館で3年間、一番中心でやってきたバンコクの地下鉄の建設計画と、それから第2空港の建設計画とその現状ということを中心といたしまして、本日の議題でございます運輸分野における海外協力、経済協力の現状といったことでお話をしたいと思います。

先ほど、きょうご参会いただいている皆様のリストを見させていただきましたら、私どもがバンコクで、まさに2つのプロジェクトで非常にぎりぎりと、企業の方、特に商社関係の方々とやってきたその内幕までよく知っていらっしゃる方というのは、やはりまだバンコクにおられますので、お見受けしなかったものですから、ある意味で話しやすいというか、ある程度・・・・・・。まあ、私はオブザーバーとして、このプロジェクトを2つ外側から見ていたのですけれども、私なりの感想というところも含めて、できればその国際協力の現状と、JICAの方の前で恐縮でございますが、問題点までお話ができればいいかなと思っております。

私は、1995年6月に、タイの日本大使館で、ここは非常な大所帯でございまして、東京から来ている、いわゆる会員というメンバーだけでも、日本人スタッフで70名を超えるという、アジアでも中国に次いで大きな大使館でございます。私ども、タームといたしましては、運輸省から来ているということで、道路整備を除く交通関係のインフラ整備、及び日本とタイの航空交渉の担当をメインとして、その意味では、足は半分経済協力に突っ込んでいるという状況でございました。

先にご説明しておかないといけないのは、今の経済協力のシステム、特に、円借款のシステムというのは円借款4省庁というのがございます。ご承知の方も多いと思いますけれども、運輸省、もしくは農水省であるとか、建設省であるとか、それぞれのプロジェクトを進めている省庁というのは、この4省庁の中に含まれておりません。したがって、その仕事の仕方としましては、各プロジェクトについての技術協力、それからタイ政府との折衝、また、プロジェクトの現状のレポート、こうしたところは我々が担当し、さらに経済協力、特に、円借款でOECFさんが見えられて交渉する場合において、有益な情報があれば、こちらのほうからも提供するという形です。そこら辺は非常に、大使館の中では極めて柔軟に行われているということでございます。

そこで、本日2件のプロジェクトについて、ご説明申し上げますが、円借款の部分、どうやってお金を出していったか、なぜOECFからの円借款を検討するに至ったか、もしくはそのお金の流れの中で、日本企業、邦人企業との関係でどういうことが起こったかということが話に出てまいります。ある意味で、大使館に行きますと、そこら辺は非常に、外務省さんのほうも、「運輸省も協力してくれ」ということで、フランクに仕事の中に入っていけたということでございます。そこら辺がちょっと、「運輸省なのに何で円借款?」ということもございますけれども、そういう事情をご理解いただきたいと思います。

私どもがタイに参りました1995年6月というのは、まさに、日本からタイに行くときの送別会などでも、先輩の皆様からも、日本の経済がバブル崩壊後、厳しい状況の中で、タイは当時、10%以上の経済成長を続けている「アジアの奇跡」と言われた時代でございました。例えば、1995年時点で、過去10年間で世界で一番成長した国はどこかという世界銀行の統計などでも、タイがトップに躍り出るということで、タイ政府、もしくはタイの民間企業もかなり自信をつけてきていた時代でございます。

為替のほうも、円ドルレートで申しますと、1ドル八十数円までいった時代でございまして、私の前任などは、その前の3年間にいたわけですが、120円で来て80円で帰るということで、帰りがけに、「これがゴルフの成績だったら何も言うことはないんだけれども」というような言葉を残して去っていき、1年ぐらいタイにおける銀行口座をそのままにしておいたという状況でございました。バーツも円に対して非常に強くなって、我々運輸省からタイに行ったメンバーの中では、20円族という人がいました。1バーツ20円していた時代、それから10円になった時代、それから5円になった時代ということでよく言われるんです。私は初め、1バーツ3円ぐらいという話を聞いて行ったんですが、もうバーツが非常に強くなっていて、5円ぐらいまで戻ったりもしまして、ある意味で、タイ経済が非常に元気のあった時代に、タイに参りました。

 

 

 

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